The exhibition of a mysterious artists group that raised a problem to Japanese Art world by their unique thesis, and disappered suddenly in late 1960’s.
1960年代後半姿を現し、美術界に問題を付きつけ、突然消えて行った謎の集団「幻触」の展覧会
1960年代後半姿を現し、美術界に問題を突きつけ、突然消えた謎の集団「幻触」の展覧会を「モノ派」との関連を考えながら、開催致します。
美術評論家・石子順三を中心に、トリッキーなアートにより視覚の問い直しを行った流動的な作家のグループ中の、5作品をご覧頂きます。1960年代の過去の作品から、飯田昭二は見る角度によって光景の変わる鳥籠、小池一誠は石を使った作品、鈴木慶則は、キリコ、マグリットの絵を用いたトロンプルイユ、丹羽勝次は立体に見える平面の箱、前田守一は遠近法の「ものさし」などを中心に合計20点ほど出品予定。「幻触」に関するポスター、資料なども展示致します。1960年代後半という、錯綜としながらも現代へ至る過渡期として見過ごせない時期に美術への情熱をきらめかせた作家たち-どうかその問いかけをご再考下さい。
世界は、それを見る者の自己投影だ。とするなら、では自己投影でない、それ自体としての世界はあるのか? こんな問いかけに導かれながら、それでも世界を指し示すことができるか。「何」かが心身に宿るのを待ちます。
1927年 静岡市生まれ。奉天省順育成工業学校卒業。 1958年–1965年自由美術展、読売アンデバンダン展出品。1966年おぎくぼ画廊にて個展。この年より清水、静岡を拠点に活動する作家からなるグループ「幻触」に参加、鏡のトリックを生かした一連の作品を発表する。1968年おぎくぼ画廊賞受賞のほか、「トリックス・アンド・ヴィジョン」展、ロンドン現代美術展 など1960年代末から70年代にかけての重要な展覧会に出品。静岡市在住。
「幻触」に対する思い 私にとっての「幻触」とは、グループ名が決まった時点で、「幻 に触れる」と言うことをかなり意識していました。もう少し違った 言い方をすれば、他者(他人)との距離(違い)について考える 場であり、同時に、他者へのコミュニケーションの問題を考える 場であったように思います。故石子さんからの東京情報やメン バーたちの視点は、私にとっての視点をささえる大きな力になっ てくれました。今でも私の中では、「幻触」は活き続けています。
1940年 神奈川県横浜市生まれ。1962年多摩美術大 学卒業後、清水の高校で教鞭をとるかたわら、当時清水に住む美術評論家の 石子順造との交流を通じて、1966年地元美術家らとグループ「幻触」の活動を 開始。1968年「トリックス・アンド・ヴィジョン」展、1970年「第十回日本国際美 術展人間と物質」展など1960年代末から70年代にかけての重要な展覧会に 出品する。静岡県牧之原市榛原町在住。
「表現の迷路」 大宰治の何度目かの自殺未遂の地鎌倉山で「幻触」展の回 想が行われるのも、何か感慨深いものがある。それは「幻触」の 活動の本質にも表現自殺への或る種の願望があったからである。 美術への制度論としての問い掛けを主張する石子順造氏の 影響もあったのだろう。
石子氏独自の“近代主義”批判が運動の基底としても定着した。ぼくの創作への蘇生は、運動消滅後その第一歩を歩む宿命にあった。
1936年 旧清水市生まれ。1958年多摩美術大学卒業後、評論家石子順造との交流を通じ、1966年に清水、静岡を拠点に活動する作家とグループ「幻触」を結成。1966年のシェル美術賞展で佳作、翌年同展にて二等賞を受賞。1968年には「トリックス・アンド・ウィジョンJ展、1969年「現代 美術の動向」展など1960年代末から70年代にかけての重要な展覧会に出品し、今日にいたるまで個展、グループ展で活発な活動を示している。静岡市在住。
「幻触の起点」1967年、表現の今に向き合う証として、10年余描き溜めた油 絵を遠州の大河、天竜の川原で焼却。以後、キャンバスを合板に、油絵具をラッカーに、絵筆を刷毛に変えて切り抜きによる「箱」のシリーズを作成。1965年ころ、ケント紙上に硬質の鉛筆を垂直に立て、濃淡も強弱も抑揚もなく、不定形な線を引き続けた、その題名を「触」としたと朧げに記憶している。このことが、ぼくの「幻触」の起点になったはずである。
1931年 袋井市生まれ。静岡大学卒業後、個展、団体展・公募展への出展を重ねる。1956年–66年新制作派協会に連続入選。1966年、当時清水に住む評論家の石子順造と、彼の元に集う若手作家との交流を 通じて、グループ「幻触」のメンバーとなる。1967年シェル美術賞展入賞。1968年「トリックス・アンド・ヴィジョン」展出展。「幻触」の終焉後は現在にいたるまで、紙を媒体にした平面作品や、炭を用いたインスタレーションなどの制作 を続け、表現の可能性を追求している。静岡市在住。
「寸感」ビートルズブームに沸く巷にむけて、消えかかる既成の美術「制 度」の内構造にたいする問いの姿勢を括弧でくくろうと揺れて いる「幻触」の動きを「未知のドアを作りつづける持久力がなけ れば早晩このグループは解体しよう」と厳しく批判した評論家・ 石子順造自身も、いらついて、美術終焉の気配を感じながらマ ンガからキッチュヘ、やがて石に惹かれ、動かし難い自然に向 かい生々しくもがき続けていた。 美の形成を価値としての普遍性と人間の精神性によるとし、 その前提に自然観を置き生物の発生・成長・変容といったもの の内側を見せようとする中世の自然観に対し、自然に働きかけ 自然を利用するという人間の思い上がりを見せ始めた近代の自 然観を超克する冒険者でありたいと念じつつ。
1932年 浜松市生まれ。山口源に私淑し1950年より版画家としての活動を始める。その傍ら1950年代末より、当時清水に住む評論家の石子順造との交流を通じて表現の幅を広げ、1966年、清水、静岡に住む作家とグループ「幻触」を結成。1967年第11回シェル美術賞佳作、1968年「トリックス・アンド・ヴィジョン」展、「現代日本美術展」などに出品。グループ「幻触」としての活動終焉後は、版画表現に立ち返って活発に制作活動を続けて いる。静岡市在住。