日本の現代美術は、いつどのように形成されたのか。一般解に従えば、まず踏み台に1950年代から60年代前半までの集団的な前衛運動があり、高松次郎の突出した先駆的実験をはさんで、70年前後の「もの派」に至る流れの中ににおいて、ということになろうか。種々の表現実験が、未加工の物体を設置するだけの「もの派」の没主観的な非造形主義に流れ込むことで、戦後美術は現代美術への移行を遂げたというわけである。

しかし、やはり同様に、美術のタブラ・ラサ(白紙還元)を推進しながら、「もの派」のみに拡大鏡が当てられる余り、忘れ去られた同時代の集団がもう一つあった。それが「幻触」である。のちにマンガ評論でも活躍した石子順造に率いられた静岡県の集団だが、その石子と中原佑介が組んで68年に開いた「トリックス・アンド・ヴィジョン」展を通じて、世の注目を集めたことはよく知られる。

その中心的なメンバーだった飯田昭二、小池一誠、鈴木慶則、丹羽勝次、前田守一の当時の作品がよみがえった。改めて今日の目でみると、そこには大きく二つの傾向が確かめられる。一つは錯視効果をねらったトリッキーな表現であり、そして一つは「もの派」をほうふつとさせる非造形的な表現だ。とはいえ、圧倒的に際立つのは前者の傾向で、たとえば鈴木の一連のだまし絵などは、その筆頭格といってよかろう。

画面の半分にマグリットやダリの絵柄が模写され、残りの半分は画布をはいで、カンバスの木枠がむき出にされる。いや実はそう見えただけで、その木枠の部分も等しく描かれていた――という作品なのだ。鳥かごの中央を両面鏡で仕切り、その左右にピンクと白のダンスシューズを配した飯田のオブジェも、もちろん同じ。原理は単純でも、移動するにつれクツが両方とも白く化けたり、ピンクに染まったりする不思議が目を楽しませる。

変形カンバスにロープを屈折してはりつけ、箱と見せかける丹羽。遠近法よろしく、大きなものさしに傾斜を付けた前田も、錯視の使徒であるのはいうまでもない。対してスパッと分断した自然石を向かい合わせに置いたり、積み重ねたりしただけの小池の作風は明らかに違う。ほとんど造作のない物体がどう見えるかという問題意識は、限りなく「もの派」のそれに接近しているからだ。

それにしても60年代後半、トリッキーな傾向がなぜかくも噴出したのか。美術の再出発が見ることの問い直しから始まるとすれば、さまざまの予断を刷り込まれている視線の本質をあばき出すのに、視覚のトリックほどふさわしい方法もなかったからにほかなるまい。すでに地元の静岡で先行していた再評価の動きを受け、首都圏で初めて持たれたこの試みは、今後の本格的検証のための重要な布石ともなるはずである。

 

幻触 2005
飯田昭二「Half and Half B」(手前、1968年)と鈴木慶則「非在のタブロー(マグリットによる)」(1967年)

 

幻触 2005
小池一誠「石」(1969年)

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