先の「幻触」展(鎌倉画廊)は、再評価が進むこの前衛美術グループにスポットを当てるうえで、実にタイムリーな企画であった。

1960年代末「幻触」は、トリッキーな視覚的効果果で知られた。が、歴史的には、直後に現れた「もの派」によって乗り越えられ、役割を終えたとされてきた。「もの派」が重視したのが、遊戯的な視覚性よりも、未加工な素材の直接性だったからだ

ところが、一見、対照的に見える両者も、他界した評論家、石子順造を媒介してみると、むしろ密接な関係性が浮かび上がって来る。

もともと「幻触」は、病の療養を兼ね静岡に帰った石子の強力なリーダーシップのもとにあった。他方、後に「もの派」の理論的指導者となる李禹煥もまた、「もの派」前夜には、東京に戻った石子の強い影響下にあった。したがって李の「もの派」的言説は、「石子=幻触」的な要素を「内側」から切り離すことで成立している。つまり「幻触」と「もの派」の関係は、後者が外部から前者を凌駕するような関係ではありえない。

当初「もの派」には、素材としての物質感よりも、一瞬にして成立する対象との「出会い」を重視する傾向があった。この点に絞っていえば、「幻触」の遊戯的一な視覚性も、「あらわれ」と「うつろい」の提示という点では、出会いの一回性をたしかに持っている。「もの派」には、意外なくらい「幻触」的要素が残存いたのである。

「あらわれ」と「うつろい」へと向けられた石子の興味は、もともと、作品(創作)と鑑賞(批評)の間で腰着した美術の制度性を、いかに乗り越えるか、という点から発していた。石子が、現代美術に向けるのと同じ視点で、「マンガ」や「絵馬」のような通俗的で「うつろいやすい」現象に着目したのは、そのためだろう。

いま石子を読むことは、60年代美術の再読はもちろん、ハイアートからサブカルチャーまで及ばんとするわたしたちの美術を問い直すうえで、絶好の機会となるはずだ。

(さわらぎ のい・美術評論家)

 

幻触 2005

Top » 幻触 2005年6月4日–8月6日