September 5 – 17, 1983

 

大沢昌助
大沢昌助

大沢昌助

水平線

1983年9月5日–17日

 

叙情的な色帯が、大自然とふかく交感する

大沢昌助の新作をみて

小川正隆

東京・田園調布にある大沢昌助さんのアトリエを、久しぶりに訪問した。

百号の新作が十点ちかく完成している、と耳にしたからだ。大沢さんを訪ねるのは、本当に何年ぶりかであるし、同時にこの画家の画風が、1980年ころから、一段と抽象的な方向に向かい、より自由な展開を示してきたから、こんどの新作がどのようになってきたかを、ぜひともこの目で確めておきたかったからである。

ところで、大沢さんの作品といえば、古くからこの画家の仕事を知っているものは、人物像のイメージを感じさせる、ごく単純化され、簡潔化された瀟洒なフォルムを思い浮べることだろう。事実、私はこの大沢さんのフォルムに心ひかれてきた。大らかで、自由で、その空間には、春の風が優しく吹いているように感じられたからだ。いや、樹間を吹き抜ける夏のその風のように、さわやかな情感が、そこにこめられていると言った方がよいかもしれない。

いずれにせよ、大沢さんは具象的なイメージから出発しながら、まさに独特の大沢流料理方法で、さらっと画面に盛りつけて、美の食通を堪能させる妙手なのである。

富山県立近代美術館で、昨年「現代日本美術の展望──油絵」という企画展を開催した。これは造形活動の現状をジャンルごとに区別して、連続的に紹介しようというのが狙いだった。

この絵画についていうなら、ベテランから新人まで、50人の画家の作品を展示したのだが、具象傾向と抽象傾向の作家がほぼ半数ずつふくまれていた。

大沢さんもに、当然ここに参加していただいた。そして、それ以前の多くの仕事から考えて、具象系のひとりとして考えていたが、しかし送られてきた作品は、「類推」のシリーズ(1981年)のひとつで、青いモノクロームの美しい色面を細い白の線条が静かに流動する表現──いわばまったく抽象的な仕事に転換していた。大沢さんの作品は具象のセクションにと頭から決めつけていた若い学芸員は開梱した途端、驚いたものだ。そのように大沢さんの作風は、1980年の後半から、具象とか抽象とか、そんなことは一切意識しない、自分自身の、純な心的イメージを追求しているように思われる。とにかく、その追求の仕方が、曲者なのだ。一見、単純なように思えて、しかし、その実、人の意表をつくウイットの鋭さや、とぼけてみせるような老獪さをひめていて、とてもではないが、ひと筋縄では提えることのできない、ソフィストケートされた仕事なのだ。

どうも、前口上がながくなってしまったが、だからこそ今度の新作がどのようなものか、と私にとっては興味があった。

では、新作の実体はどうか。大沢さんはアトリエの壁に裏返えしておかれた新作群を、一点、一点、次ぎつぎに取り出してくれた。

その瞬間、私はまず当惑した。もし、よその画廊に作者名を示さず展示されていたら、とても大沢昌助の絵だとは思えない画面である。このさりげなく新しい転換に、私は織烈な衝撃を受けた。

水平線というか、それとも地平線というか、とにかく平行する鮮かな色帯だけの構成である。一歩まちがったら、色見本帖みたいになってしまう単純きだが、そしてなんのそっけもないような色面分割だが、しかし、不思議なことに、これらの面画は、見てゆく間に、ぐんぐん私の心をとらえてくる。それは構成のさわやかさと同時に、色帯のもつ叙情的なデリケートさ、あるいは静かな深さが、私の心をひきつけてくるからだ。

私はロスコなどの面画をその傍らに思い浮べて、比較してみた。しかし、実質的に、まったくちがうのだ。大沢さんのこの連作は、たしかに純粋な抽象的スタイルを示している。しかし、鑑賞の時間が経過するにつれて、これらの画面は、私にさまざまなシーンを連想させ、想像力を刺激する。

これは、海辺での日の出かな。ひょっとすると、あれは静かな日没の場面かもしれない…。俗っぽい空想かもしれないが、しかし、大沢さんのこれらの抽象の表情は、冷たい、知的な幾何学的な構成ではなくて、明らかにその根底において、大自然のイメージと深く交感する情念の世界がそこに存在しているように私には感じられるのだ。

大沢さんは、1903年の生まれである。もう80歳だ。大体、年齢に比べると、ずっと若さをたたえている(青年の面影を残している)この画家だが、この80歳の坂を越えようとしながら、すがすがしい新しい転換をみせてくれるとは──。「創造」の限りなく湧き出る泉に、俗世の動きに疲れた目を洗う想いがする。

大沢さんは若く、そして画面は生きいきと美しい

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