アーティストトーク

池田葉子 × 宮島綾子

2019年3月16日 鎌倉画廊

 

鎌倉画廊

お時間になりましたので始めます。 本日はお忙しい中お越しくださいましてありがとうございます。本日トークイベントでお話下さいますお二人をご紹介させていただきます。今回の展覧会の作家の池田葉子さんです。よろしくお願いします。

今日ご一緒にトークしていただきます国立新美術館主任研究員の宮島綾子さんです。よろしくお願いします。

池田葉子さんは石川県金沢市出身で95年に 東京総合写真専門学校研究科を修了されました。 これまで国内のギャラリーはもとよりアメリカ、ベルギー、オランダなど海外での発表も精力的にされています。アメリカのフィラデルフィア美術館、北海道東川町に作品が収蔵されております。

2016年に第32回写真の町東川賞新人賞を受賞され、昨年は第1回 Photo Basel ALPA AWARDを受賞されました。今後の活動にも注目が集まっている作家の一人でございます。

今日は会場内の作品を眺めていただきながら池田さんの作品についてより深く知っていただける機会になればと思っております。

宮島さんにつきましてはこれまでのご活動も含めて、このトークの中で池田さんからのお話を交えて触れていただきますので、早速トークの方を開始したいと思います。

池田葉子

ありがとうございます。ではよろしくお願いします。

緊張しておりまして、たどたどしいところも多々あるかと思いますが、よろしくお願いします。まず宮島綾子さんについて私からご紹介させていただきます。

宮島さんは国立新美術館の主任研究員でいらっしゃいまして、最近ご担当になった展覧会が「ルーヴル美術館展」(会期:2018年5月30日–9月3日)で 「肖像芸術——人は人をどう表現してきたか」、というサブタイトルがついています。ルーヴルの全8部門から約110点、この展覧会を見に行ったんですけども、そうそうたるモノが出ていました。 学生時代にオールドマスターという、19世紀以前の西洋美術をご専門になっていて、国立新美術館では主に西洋近代美術の展覧会をご担当になっていらっしゃいます。

新美術館の設立準備室の時に第12回鹿島美術財団賞というものを、「ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin)とその周辺のフランス人画家における古代受容の一様相」という、とても私には何かよくわからない難しいタイトルの、、、研究、論文ですか?

宮島綾子

そうですね。助成を受けて、、、

池田葉子

財団賞を受賞されていまして、、、ニコラ・プッサンの研究を専門にされているんですよね?

宮島綾子

そうですね。美術館に就職する前の大学院時代にニコラ・プッサンという17世紀のフランスの画家の研究をしていました。

池田葉子

ちょっとプッサンについて、お話いただけますでしょうか?

宮島綾子

今日いらっしゃっている方はご存知ない方も多いかと思います、日本の美術館には1点も作品を所蔵されていませんので。

17世紀のフランスの画家で、いま右(図1 ニコラ・プッサン 《自画像》 1650年 ルーヴル美術館)に映っているのが自画像です。左(図2 ニコラ・プッサン 《アルカディアの牧人》 1638-1640年頃 ルーヴル美術館)に映っているのが、しいて言えば、プッサンの中でたぶん一番有名な作品、「アルカディアの牧人」という作品です。16世紀のルネサンスの時代までは、フランスの人たちはイタリアから画家を呼んでいたので、フランス絵画というものが無かったというか、イタリアのほうが美術の先進国だったのが、17世紀にやっとイタリアに勝るフランス画家が出たということで、美術史では「フランス絵画の父」と言われる人です。そういう人を研究していました。

新美術館に就職してからは、基本的に新美術館は現代美術とそれ以前の少し古い美術の両方の展覧会をやっているんですけれども、私はどちらかというと、古い時代の展覧会を担当しつつ、たまに現代美術の展覧会も手伝う、という、そんな仕事をしています。

池田葉子

私も学生時代に写真学校で、現代美術の授業がありまして、その授業で抽象表現主義に、すごく興味をもつようになったんです。こうやって自分で作品を作っているうちに、抽象表現主義から、遡って印象派とか、ポスト印象派、後期印象派ですね、例えばセザンヌとかが、どういうふうに対象を見ていたか、というようなことにも興味を持つようになったんですけど、なかなかセザンヌが敬愛していたというプッサンまでにはたどり着けない、という感じなので、徐々にプッサンについても宮島さんに教えていただきたいなと思っています。

宮島綾子

今セザンヌとプッサンのつながりを言ってくださったんですが、この作品(図2ニコラ・プッサン 《アルカディアの牧人》 1638-1640年頃 ルーヴル美術館)は最後までセザンヌが自分のアトリエに飾っていた作品で、この「アルカディアの牧人」という主題自体は、プッサン以前の画家も、それ以降の人も描いているんですけれども、このプッサンの絵をきっかけに描き方がすごく変わっていくという、画期をなした作品で。でもそれは、今この作品だけ見ても分からないと思いますけど、セザンヌ(Paul Cézanne)、それからもっと後の世代のピカソ(Pablo Picasso)とかフランシス・ベーコン(Francis Bacon)とか、パッと名前を聞いた時に、なんでこの人達?と思うような人たちも、みんなこの人の絵をすごく学んでいて。

池田葉子

ベーコンもなんですか?

宮島綾子

そうですね、ベーコンもけっこうモチーフをとったりしてますね。そういう意味ですごく、後の20世紀の美術に影響を与えているんですけど、なかなかその連続性は見えないかもしれません。そういうことについて、いつか池田さんとお話できるといいなと思っています。

池田葉子

そうですね。

でもこうやって宮島さんも研究を進められて、なんていうんですか、こう現代美術からセザンヌまで遡る人はいても、プッサンまで、というのは今のところあまりないようなので、宮島さんの力で、プッサンの名をもっと浸透させて頂ければなと思います。

宮島綾子

自分でちょっと不思議に思うことなんですけど、プッサンの絵を見るのと同じようなスタンスで池田さんの写真を見ることができるってことが、すごく不思議というか。そこが、池田さんの作品の、自分にとっての面白いところというか、興味が尽きないところです。でもまだ、ちょっと今言葉にできないので、おいおい言葉にしていけたらなと思っています。

池田葉子

ありがとうございます。

なぜ宮島さんと知り合うことになったかというのをお話したいと思うのですけれど、2012年に国立新美術館で「与えられた形象/Given Forms」(会期:2012年8月8日–10月22日)、 画家の辰野登恵子さんと写真家の柴田敏雄さんの二人展があったのですが、その時のご担当だったのが宮島さんと、いま会場にいらっしゃいます、現在、愛知県美術館の、、、

宮島綾子

館長でいらっしゃる、南館長が、、、(笑)

今日いらっしゃるとは思っていなかったので、、、

池田葉子

ちょっと緊張感が高まっているんですけど。(柴田さんの仕事のお手伝いをしていたので)この展覧会をきっかけに宮島さんとも親しくさせて頂くようになったのですが、美術館の展覧会というのはけっこう準備期間が長くて、2010年ぐらいからもう(準備を始めていましたよね)。

宮島綾子

そうですね。そこで震災があってちょっと(開催時期が)延びたんですよね。

池田葉子

そうですよね。

ちょうど私が2011年の2月に神田にあるギャラリーメスタージャというところで、私は昔モノクロで作品を撮っていたんですけれども、カラーに変わってから初めてまとまった形で展覧会をしたんです。「semiconscious note」というタイトルの展覧会(会期:2011年2月14日–3月5日)なのですが、わざわざ宮島さんが来てくださって。

チラッとその時の様子をお見せします(図3   図4   図5)。今より暗い感じの作風だったなと振り返って思います。これが(図6)その時ギャラリーの入口に飾った一点で、今回も、鎌倉画廊の1階に展示しています。宮島さんがいらした時にちょうど私、展覧会場にいなかったので、「ありがとうございました」とメールを書きましたらお返事がきまして、この作品に対するコメントをいただいたのですが、それが面白くて。

これは山形県にある紅花資料館というところの入口、いろんな建物があるところなのですが、その中の一つの入口を撮っているんですけども、ちょうどこのたたきのところの黒い点々がアリンコに見えて、それが画面のところで動いているように見えて面白かった、って書いてくだって。なんて面白い見方をする方なんだろうと思って。

宮島綾子

そうですね、池田さんにメールで、アリンコ、というのを書いた記憶があります。

この作品は、(ギャラリーに)入った時に最初にあって、出るときにも見る、という場所にあって。展覧会の中でも一番印象に残っていて、それで興奮を伝えたくて書いたと思うんですけど。

みなさんも多分そうだと思うんですけど、私は、最初に作品を見る時って、どこか部分を見るというよりも、どこを見るともなく全体を見る、という感じで見ます。

で、この池田さんの写真も、どこを見るともなく見ていたんですが、すごく面白いと思ったのが、たたきの模様がアリみたいで、それがリズムをもってスリッパの中の模様に入っているに見えたんですね、連続しているように。ここ(たたきの部分)が平面的で、このスリッパの模様と連続しているような。たたきのアリが飛んでいって、スリッパに入っちゃったみたいな、そういうふうに見えて。もちろん、いやそれは違うよね、ってすぐ思ったんですけど。でも色と形と構図、構成的におもしろいなぁということがポーンと頭に入ったんです。

それでずっとこの作品については覚えていたんですが、最初の印象は、構図、構成の強さがユニークだなぁということでした。

で、この作品が好きなので、だんだん考えているうちに、この魚肉ソーセージみたいな(スリッパの)ピンク色、このピンク色って日本人にとっては何となく懐かしいんじゃないかなって。旅館に泊まったことがある人は、(イメージするのは)もう少し緑色のスリッパなのかもしれないけど、自分たち日本人が、薄々日本っぽいなと思っているけど気付いていないようなことが、ここになんとなくフワッと出ているんじゃないかと思いました。だからこの写真は、自分たちの無意識と意識の境目にあるようなところを刺激してくれるような、そういうイメージなんじゃないかな、と思ったのと、でも逆に、例えば、ヨーロッパの人から見るとピンク色のビニールのスリッパというのが、畳とか盆栽とか、分かりやすい日本らしさではないけれども、何となくほのかにエキゾチックなんじゃないかと、いろいろなことを考えさせられて。まず視覚的、造形的な構成が面白くて、そして、いろんな異なる文化・社会的背景をもった人がそれぞれ自分なりに感じていくところがある。見る人に開かれたイメージなんじゃないかと感じました。

自分の(専門の)古い絵画もそうなんですけど、オールドマスターの絵画も、名作といわれて歴史を経て世の中に残ってきているものは、それは名作だからと思って見るから名作ということもありますが、でもずっと時間を経て残ってきて、名作とされてきた作品は、いろんな切り口から見ることができて、一つの見方では論じきれないという特徴があります。いろんな見方ができる。(池田さんの作品にも)そういう性質があるというか、本当にユニークな作品だと思った。私にとってとても特別な作品であり、この写真にしか無いユニークなイメージ、というふうに認識している、すごく好きな作品です。

池田葉子

お褒め頂き嬉しいです。ありがとうございます。

どうして今回「combine and resonate」というタイトルにしたかご説明したいと思います。単語で言うと「combine」は「組み合わせる」とか「結合する」という意味で、「resonate」は「鳴り響く」とか「共鳴する」という言葉があっているかなと思います。

まず「resonate」についてご説明したいと思います。

これはヒューストンにあるメニル・コレクション(Menil Collection)のCy Twombly Galleryです。

私は2008年にヒューストンに行ったのですが、メニル・コレクションのことを知らなくて、地元の知人に「ここは行ったほうが良いよ」と言われて。(ヒューストンを離れる日に)飛行機に乗る前にあわてて行ってきました。それまでTwomblyにはあまり興味はありませんでしたが、ここを訪れて印象が変わりました。

というのは、、、これはレンゾ・ピアノ(Renzo Piano)という有名な建築家が設計したギャラリーなのですが、天井がディフューザーのようになっていて、上から自然光が入る感じになっています。曇りだとフラットな光になって、晴れていると強く光が入って、雲が流れていると、ギャラリースペースにも(雲が)流れていく感じで。私が行ったときも雲が流れていて、陰影が移り変わっていく感じがTwomblyの作品ととても“resonate”していて、本当に素敵でした。良い作家だったんだなと思いました。

もともと美術館で作品を見るのは好きだったので、展示(方法)とかも気にしてみていたほうだと思うんですが、環境によってこれほど見え方が違うんだな、ということを強く意識する体験でした。

これはCy Twomblyのギャラリー建物(の外観)、、さっきの映像もウェブから引っ張ってきたのですけども、分かりにくいかもしれませんが、屋根の部分が自然採光をするためのルーバーになっているらしくって、自然光を取り入れるための工夫がされているようなのですね。

で、「combine」なのですが、今まで展覧会をやって作品の並べ方や組み合わせ方は気にしていたのですが、2015年にNazraeli Pressから「MONKEY PUZZLE」という写真集を出しまして、この写真集はシークエンスというか、編集は自分でしていなくて、パブリッシャーのクリスさんに全部していただいたのですけども、中身をチラッと(ご紹介します)。(図7  図8  図9

こんな感じで選んでいただいて、ほぼ(見開きに)2点の組み合わせで(構成されています)。中には1点だけ、というのもあります。

他の人に編集をやってもらって、自分では思いつかないような組み合わせがフレッシュだったし、自分でもこうしただろうなと共感した部分もありました。2つの写真を並べて比べることによって共通点、類似点が強調されると気付きました。

例えばこれ(0616-07 Portland, OR, USA 2010)だと、これがモンキーパズルという木なのですけども、ここから(写真集の)タイトルを取ったのですが、このモンキーパズルの枝のキュッとなった先っちょが、対のページの写真(0596-04 大分県竹田市 2010)の壁にチュンチュンとしたような(ボールの)跡と呼応しているような感じでもあるし、これは(1036-01 Salem, MA USA 20131041-05 South Portland, ME USA)木がくねくねツイストしているのとベッドのカバーというか模様がくねくねしているのが似ていて、色もけっこう似ています。あとこれは(1130-02 Otterlo, The Netherlands 20131127-09 Utrecht, The Netherlands 2013)真ん中の赤い点と金具が刺さっている丸い点(が類似しています)。

類似点があるとそこから気づくことがありますし、よりよく見る、というのもあります。相違点もより気付きやすいと強く感じることができました。写真集を作ったことによって「作品を並べて見せる」ということの効果を強く意識するようになってきました。

それで「combine and resonate」というタイトルなのですが、“resonate”というと最近、上野の東京都美術館で「ムンク展―共鳴する魂の叫び」(会期:2018年10月27日–2019年1月20日)という展覧会がありましたが、そういう感じの共鳴じゃないんだよな、みたいな。説明しにくいのですが、“resonate”としてしまうと、ちょっと違うかな、っていう感じもあって、“combine”だけにしようかなと思ったのですね、タイトルを。でも“combine”というとラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg)を想起される方が多いのではないかと思って、最終的に「combine and resonate」にしました。

これはラウシェンバーグ御本人の写真で、ファッションフォトグラファーの巨匠リチャード・アヴェドン(Richard Avedon)が撮った写真です。もしかしたらランシェンバーグのことをご存知無い方もいるかと思いまして画像を何点かもってきました。

これは私が2005年(*実際は2006年だった)にニューヨークに行ったときにメトロポリタン美術館(The Metropolitan Museum of Art)で開催されていたラウシェンバーグの展覧会(Robert Raushenberg: Combines 会期:2005年12月20日–2006年4月2日)のカタログの表紙なのですね。カタログから何点か(ご紹介します)。

これはラウシェンバーグのスタジオで(作家本人の)ポージングも決まっていて、かっこいい。このカタログの中で私が一番好きな作品で(作品タイトル「Untitled, 1955」)、一見普通の絵画なのかなという感じなのですが、手前にジョウゴがついています。切り裂いたTシャツを貼ってあってペイントしてあったり、切り抜きの新聞・雑誌なんかも貼ってあったり、って感じで。グレーのトーンがすごく綺麗だなと思います。これは(作品タイトル「Canyon, 1959」)カラスがくっついているのかと思ったら、キャプションを見てみたらハクトウワシでした。これはロバート・ラウシェンバーグらしいかなと。作品の下 の方に下がっているのは「枕」って書いてありました。これは(作品タイトル「Monogram, 1955–59」)有名な代表作だと思うんですけど、タイヤにアンゴラヤギを通したのかな、かなり立体的になってきている感じです。これは(作品タイトル「Black Market, 1961」)矢印とか標識みたいなのをたくさん使っている。

余談ですが、ロバート・ラウシェンバーグには息子さんがいて、クリストファー・ラウシェンバーグ(Christopher Rauschenberg)さんという方です。オレゴンのポートランドに住んでいらっしゃいまして、ノンプロフィットのギャラリーを運営している方です。写真家としても活躍していて、私も昨年からニューヨークのローレンス・ミラーギャラリー(Laurence Miller Gallery)というところで発表させてもらっているのですが、クリストファー・ラウシェンバーグさんもそこの作家です。

今日、石渡真弥さんがいらっしゃっていますけど、真弥さんはNazraeli Press の、クリスさんの奥さんでいらっしゃいますけど、2000何年だったかな?(当時お住まいだった)ポートランドのクリスさん、真弥さんのところに遊びに行った時に、クリストファー夫妻とお食事をする機会がありまして、私はあまり英語ができないので、そんなに会話はしなかったのですが、今となっては縁を感じます。

という感じで、今回の展覧会では、もちろん一点一点の写真も大切にしながら、、窓があるというのは、すごく素敵な、このギャラリーの特徴であると思うのですが、この空間を活かして、全体として響くような展覧会にしたいと思って構成してみました。

このように、作品について、というよりは、展示のコンセプトについて説明している展覧会タイトルなのですけれども、、、というわけで、今回は宮島さんに展示についてお話を伺えれば、と思って。宮島さんにこれまでご担当された展覧会の中で印象に残るものをひとつふたつ挙げていただければなと思ってお願いしています。

宮島綾子

池田さんから、今までの展覧会で印象深かった「空間と展示」というお題を頂いて、ちょっと悩みました。

今働いている国立新美術館の展示室が一見特徴がないように見えますが、じつは他にない特異なスペースで、そういう意味で「作品の展示と空間」のモデルケースとしては面白い素材かも知れないと思ったので、新美術館で私が関わった展覧会の中から2つ紹介させて頂きます。

どちらも同じ展示室を使った展覧会なのですけども、かなり違う体験をしたことをお話ししたいと思います。池田さんのお写真の話から離れてしまいますが、なるべく早く終わらせて戻るのでお待ち下さい(笑)。

まずちょっと新美術館の紹介をさせていただきます。(図10

これは2階の図面なのですが(図11)、展示室がボーンと縦に3つ入っています。ここ(奥行き)は53mくらい、ここ(間口)は32mという大きな空間です。これが(展示室の)写真で(図12)、こちらの辺が54m、むこうが32m。天井の高さは5mの展示室と8mの展示室があるんですけど、これは8mのほうです。

池田葉子

かなり高いですよね。

宮島綾子

高いです。

かつ特徴的なのが2,000m²の中に一本も柱がないということで、一見、写真で見るとよくありそうな、いわゆる現代美術のホワイトキューブのギャラリーみたいな印象なのですが、これだけ2,000m²と広くて天井高も8mと高く、一本も柱がないという空間は、日本では他にないですし、世界でもかなり珍しいと思います。

他の国立の美術館を例に上げると、国立西洋美術館や竹橋の東京国立近代美術館は、基本的には建物の形に沿って、いくつか違う形の部屋が連結するという作りですが、その方がどちらかというと一般的であって。

でも、展覧会というものは必ずしも展示室の形にあわせてセクションが分かれているわけではないので、セクションの順番上、すごく狭い空間に大きい絵が当たってしまって、そこに展示せざるを得ない、というような事もでてくると思います。

新美術館の展示室の利点というのは、セクションや作品の大きさに合わせながら展示室を作っていけることです。中に仕切り壁がいくつかあって、その仕切り壁で展示室を区切って、展覧会ごとに、セクションの順番、作品のラインナップ、作品の大きさに合わせることを考えながら、空間を仕切って作り込んでいきます。ただ、とにかく空間が大きいので、小さい作品の展示が難しいのですが、とても大きな作品の展示には適したスペックと言えます。

ですので、「大きな作品を展示した」経験のなかで印象に残った展覧会をご紹介したいと思います。

一つが「貴婦人と一角獣」というタペストリー、中世ですね、1500年ごろにつくられたタペストリーの展覧会です。織物で、どちらかというと寒い地方で作られる壁掛けなんですけど、壁にかけて部屋を暖かくする機能もありつつ、装飾の機能もあります。

今映っているのが、2013年に行われた「貴婦人と一角獣展」という展覧会(会期:2013年7月27日–10月20日)の会場で(図13)、小さく見えるかもしれないんですけれど、一点が3m x 4mくらいの大きさのあるタペストリーの6点組みの展示です。すごく大きくて、特殊な作品で、中世のモナリザと言われることもあります。それぐらい中世美術のなかでは類例がない作品です。

これはパリのクリュニー中世美術館(Musée de Cluny)に所蔵されているんですけど、1983年にニューヨークのメトロポリタン美術館の展覧会に出品されて、パリに戻って以来、門外不出の作品です。

池田葉子

フラジャイルなんですか?

宮島綾子

織物なのでやっぱりフラジャイルですね。扱いが難しいってこともあると思いますけれども。(パリから)貸し出される機会がなかったんですけど、クリュニー美術館の常設展示室も改修することになって閉館するので、展覧会の話が持ち上がって。これを日本で展示できる機会は、たぶん、この後100年先もないだろうというぐらいの作品ですし、とても大きな作品なので新美術館でしか展示ができないんじゃないかというのもあって、新美で展示しました。

で、この6点をどう展示するかってことは、、、この展覧会は私はサブ担当で、メイン担当が実は南さんで。いま愛知県美術館の館長で、当時は新美術館の学芸課長でいらっしゃった南 雄介さんと一緒に担当していました。

で、どう展示するのが一番良いのかを考えたのですが、、、タペストリーは1500年ごろに作られたことが分かっていて、(タペストリーの製作を)依頼した人が誰かも分かっているんですけど、どういう館で、どういう順番で掛けられていたかという状況がまったく分かっていないので、当時の状況を再現するような展示はできないと。

じゃあどんな展示がふさわしいのかが分からないな、と。それで所蔵先のクリュニー中世美術館の館長さんに、東京でも所蔵先の展示と同じ順番で展示したらどうでしょう、というのをお聞きしたら、それはイヤだという。

これは新美術館での展示風景ですが、ちょっと加工しているので、実際よりも広く見える写真です(図14)。本当はここまで広くは見えなかったですが、でも、ここからここまで(幅)が25mで、奥行きも25mくらいの大空間になりました。

で、こちらは当時のクリュニー中世美術館、改修前の常設展示の様子なんですけど(図16   図17)、6点組のうち5点が片側の壁に並んでいて、1点だけ反対の壁に掛かっている。

池田葉子

建物の構造上そうせざるをえなかった?

宮島綾子

それもあるんでしょうね、(展示室が)丸い空間で、たぶんここに6点全部は入らないからこういう展示にするしかなかったのかも。

でも、このタペストリーについての今までの研究だと、6点目、ここで独立している6点目だけが他の5点よりも特別な意味があるんじゃないかというのが主流でした。他の5点の意味を解釈していくと、総括的なものが6点目なんじゃないかと。

池田葉子

図16の図柄に)テントというか、なんかあるので、何か(他の5点とは)違いますよね。

宮島綾子

そうですね。確かに違うんです。でも、逆にクリュニーの館長さんも含めて、今の中世美術の研究では、この6点目だけが特別視されていたわけではないんじゃないか、むしろ他の5点と同列に扱う方が当時の解釈にあっているんじゃないか、という新しい見方が出てきていて。

でも、所蔵館では絶対にその(6点を同列に並べる)展示ができない。改修したとしても構造上できないんだけど、でも改修後はせめてこの1点が独立しないように展示したい、と館長さんはおっしゃっていて。今は1点だけ特別感が出てしまっていることが、とにかく不満だったんですよね。

それで、東京では(展示室が大きいので)所蔵館の不満を解消する展示ができるので、展示室に入った時に6点全部が一度に見渡せて、平均的に見られる、という展示をしようということになりました。

こうやって均一に並ぶように展示をしてみて面白かったのは、2点目と6点目のサイズがほとんど同じだということがパッと見て分かったりして。そうすると2点目と6点目は、向かい合わせだったか、隣り合わせの壁にあったのかもね、とか、こう、展示してみて初めて分かるってことがありました。

(展示室の図面、図15を指して)ここが展示室全体、2,000m²あって、ここの入り口から入ってきて、ここから入ったら6点が全部一気に見渡せるっていう空間にして。ここの幅が25mくらいあるので、25mプールを想像していただくとスケールが分かるかと思います。とにかく広々としていて。

池田葉子

いつも新美術館って混んでいるので、あまり「広さ」まではよく分からなかったりしますけど、広かったですよね。

宮島綾子

とにかく広くて、壁もいろんなところに立てることができるので、大きい作品を展示する時は、作品にあわせて壁を立てて空間を作っていくことが可能なスペックですね。

で、クリュニー美術館の壁の色はグレーだったんですけれど、それも東京では変えてみたほうが面白いんじゃないかということで、チャコールグレーなども考えたのですが、結局ネイビーにして、クリュニーでの見せ方とは異なる展示になりました。

その後、私がクリュニー中世美術館に遊びに行きまして、これは改修後のクリュニー中世美術館なんですけど(図18)、壁が改修前はグレーで丸かったんですけど、改修後はネイビーになっていて。展覧会で一緒にお仕事したクリュニーの人に再会したら、東京の時の展示でネイビー良いと思ったんだよね、と。それで改修したらネイビーにしようってなったんだよ、って。(作品が)すごく大きくて取り扱いが難しいものなので、壁の色を変えてみたいと思っても、シミュレーションもできないし、なかなか検討が難しい。そういうなかで、東京が良いシミュレーションになったのかなと。

池田葉子

そうですよね、実際に見られたし。

宮島綾子

この展覧会は、自分の中では、新美術館の展示室が作品をよく見せるために頑張ったというか。常に展覧会の作り方はそうなんですが、作品に合うように展示室をいかに作り込めるかということを、特にこの展覧会はよく追求できたというか、かなり大きくて特殊な作品だったので、そういうことが実感できた。展示室が頑張るっていう(笑)。作品の方に展示室が寄せていく。それが展覧会としては普通のことで、とくに新美術館はそれができるスペックがある展示室なので、私が担当している展覧会はいつも、そこをとにかく頑張らなきゃいけないなと、そう思ってやっています。

で、逆にそれと違う体験をしたのが、、、今までの話は、展示室が作品に対して寄せて頑張ったということなんですけど、このクリュニー中世美術館の「貴婦人と一角獣展」と同じ8mの天井の高さのある会場で、2012年に行った、池田さんとの出会いのもとにもなった、「与えられた形象」展という展覧会です。これは、2014年に亡くなってしまった画家の辰野登恵子さんと写真家の柴田敏雄さんとの二人展でした。

この展覧会を企画したのも当時学芸課長であった南雄介さんで、いま愛知県美術館の館長でいらっしゃる、南さんが企画なさって(笑)。そのとき私は、辰野さんの絵画もちろんなんですが、柴田さんの写真にも個人的に興味があったので、私もチームに入りたいです、と志願して、南さんと一緒にこの展覧会を担当させて頂きました。

辰野さん、柴田さんは芸大で同級生だったという繋がりはあるんですけど、身の回りに見出される形象、形、そういうものを主にとっかかりにしながら、でも、それぞれ絵画と写真で、視覚的、造形的に自立性をもった表現を達成してこられた。そういう繋がり、そこに共通点もあり、でも、表現の仕方に違いがあったりメディアの違いがあったりします。そういうところが見られるような展覧会にしたいし、我々自身もそれを見たい、そういう思いで取り組んだ展覧会でした。

これが最初の部屋で、柴田さんの写真があって(図19   図20)。

池田葉子

奇しくも、というか、鎌倉画廊さんが以前銀座にあった時に二人展を、柴田・辰野展(1996年 柴田敏雄 辰野登恵子 「ふたつのメディア 」)をやっていましたね。

宮島綾子

そうでしたね。

展示空間の作り方については南さんにもいろいろな考え方があって、二人展だから、完璧に2つに空間を区切る展示もありえるけれども、でもこの二人展は、辰野さんと柴田さんの作品がゆるやかに、交互に見られたらすごく面白いんだろうね、という感じで進んでいったと思うんです。

これは柴田さんの「日本典型」っていう写真のお部屋ですね(図21)。で、ここからチラ見できるのが辰野さん。このチラ見えがここの作品(図22)。逆に、辰野さんの部屋から柴田さん(の写真)がチラ見えするという構成もありました。(図23

池田葉子

こうやって(もう一方の作家の作品が)見えるのが良いですよね、覗いてこう。(図24

宮島綾子

そうですね。見えない部屋もあり、見える部屋もあるという感じで、すごく良かったなと。これが辰野さんの大きな絵画の部屋なんですが、8mっていう天井の高さを感じさせない(図25)。これは柴田さんのカラーの写真(図26)。

池田葉子

(辰野作品と柴田作品が)わりと交互な感じで。

宮島綾子

厳密じゃないですけど、(交互に)見られていくという構成にして。

これが当時の図面なんですけれども(図27)、緑色にしたところが柴田さんのエリアです。辰野さん見て柴田さん見て、辰野さん見て柴田さん見て。で、お二人の初期作品を見て、辰野さん見て柴田さん見て、辰野さん、柴田さん、で最後にお二人の新作を見る、という作りなのですが、パッと見て頂いても分かると思うですが、柴田さんの空間の方が、辰野さんの空間よりもイレギュラーで。例えば、細長い廊下みたいな空間。ここは32mもある長い廊下のような空間なのですけども、この32mの空間の展示風景を撮ったのがこれです(図28)。

池田葉子

結構印象的ですね。

宮島綾子

そうですよね。

幅が4m、高さ8m、で長さ32m。ちょっと分かりにくいかもしれないんですけど、こちらの展示は(図29)、(柴田さんがこれまで出版してきた)写真集をケースに入れて展示して、それと一緒に、写真集に掲載していた写真のプリントも、年代順に。アーカイブ的で、資料的な要素があって、クロノロジカルに作品の展開というか、お仕事の展開をたどれる。

池田葉子

柴田先生の写真集ってクロノロジカルじゃなくて、ちょっと(昔の作品に)戻ったりしつつ(写真集を)出してっていうのもあるので、完璧な年代順ではないのですけれども、そんな感じですね。

宮島綾子

これが正面から撮ったところですね(図30)。

ここ(展示ケース)で写真集の表紙が見られる。で、この反対側の壁が。

池田葉子

こっち側の壁が横一列で。

宮島綾子

そうそう横一列に「堰堤」っていう、砂防ダム、砂を防ぐダム(の写真)。そういうダムがあるんですね。あれは砂が溜まると水の流れをゆるくしてくれるので、土砂災害を防ぐそうで、初めて「砂防ダム」って言葉を知って。

池田葉子

私も(堰堤の)機能についてはよく分かっていないんです。英語にしちゃうと大きなダムも小さなダム(堰堤=砂防ダム)も「dam」になっちゃうんですけど。

宮島綾子

そうですね。それの20x24インチでしたっけ。

池田葉子

そうですね、20x24インチ(サイズの堰堤の作品)を一列にガーッと並べた。(図31   図32

宮島綾子

それを25点一列に30mくらい並べた。

この廊下みたいな、こういう長いスペースは、もともと新美術館側から、まだ展示プランを作り始めて最初の頃に、(実際の展示とは)違う感じで廊下みたいなスペースを作りたいと、ご提案したというか、南さんが考えたことがあって。

これが最終的な展示図面なんですけど、最初の頃の構想では、展示室の外構とここに廊下のようなスペースを作って(図33の赤い線の部分)、廊下の途中に展示室への入り口があって、廊下のところには、辰野さんだったら展覧会のカタログとかDMとか、あるいはドローイング、小品、エピソード的な作品とか、そういうものを展示する。柴田さんのほうはアーカイブ的に写真集と写真をクロノロジカルに展示して、そうすると、廊下スペースではお二人の歩みを年代的にたどれると。(廊下の途中にある展示室では)年代別に作品を展示するというより、テーマでの展示の方が多くなるだろうから、廊下で年代順にたどりつつ、展示室に入って見て、また廊下に出てたどって、みたいな構想でした。

池田葉子

(廊下の展示を)参照しつつ、みたいな形を考えて。

宮島綾子

それを考えて。最初はソレ良いね、みたいな感じで盛り上がった記憶があるんですけど。楽しいね、みたいな。

でも、そのうち我々美術館側が我に返ったのは、こんなにたくさん廊下みたいなスペースを作ってしまうと、メインの作品の展示スペースが取られてしまうと。辰野さんの絵画ってすごく大きくて、空間の引きも必要だし壁の長さも必要で。外側の壁は継ぎ目がないので絵画も写真も展示しやすい良い壁なのに、(廊下スぺースを作ると)そこが潰れてしまうし、面積も意外と取ってしまうので、これではダメだ、みたいな感じになって。それに廊下みたいなスペースって、展示しづらいよね、みたいな気持ちもあったんです。

でも、柴田さんがそこで、砂防ダムの写真を一直線に展示するっていうプランを出してくださって。こういう長いスペースで資料的な展示っていうのは新美術館側でも意識していたんですけども、柴田さんが思いがけない展示プランを(出してくださった)。8mも高さがあって30mもの長さがあるって、かなり特異な空間なので、どちらかといえば展示しづらいだろうなって思っていたところに、それがすごくポジティブに使える案が出てきて。

池田葉子

そうですね。もともとこういう風に一列に並べてみたいって。

宮島綾子

そうですね、柴田さんが(そう)思っていらっしゃって、それがたまたま合致した、ということではあると思うんですけど、でも、展示構成を作っていく中で印象的な体験でした。

それともう一つ、柴田さんと辰野さんの展示構成を作っていく中で、柴田さんにとって不利なんじゃないかと思ったことがあって。

そもそも新美術館には5mと8mと、天井の高さの違う展示室があって。いつも、展覧会の内容にあわせてどちらがが良いか、という選び方をするんですが、この時は大は小を兼ねるという考え方で、辰野さんの絵画が大きいので、どちらかというと辰野さんの作品が基準になって。5mだったら壁(の高さ)がこの辺なんですけど、辰野さんの絵画をダイナミックに見せるには8mだよねっていうところから、8mの展示室が選ばれていました。で、その時に写真の展示として8mってどうなんだろう、使いづらいんじゃないかな、っていうのを最初は思ったんですけど。

池田葉子

そうですよね、上ばっかり気になっちゃうっていうか。

宮島綾子

そうですね、上の空間はうわ~って大きくなってしまうので。その時に「こんな展示が!」っていう案を柴田さんの方から出してくださって。柴田さんの写真のなかで三角形のフォルムというのが引き出されている、そういう写真をいくつか、三角形の形に並べて、ほとんど高さ8mのところにまで(段重ねに展示した)。(図34)行けそうなところまでやってみようっていう。この案が出てきた時にウキウキしてきた事を覚えているんですけど、でもこれも最初の頃は、上の方まで展示するというイメージではなくて。

展示の詳細を詰めるときは、マケットを使ってやってましたね、貼りパネで。写真とかも小さく作って。(図35

池田葉子

そうですね、50分の1(のサイズ)とかそんな感じで。

宮島綾子

当初、三角形の展示のところは、三段重ねっていうときがあったんですよね。

池田葉子

はじめはこんな感じで作っていましたね、マケット。(図36

宮島綾子

それがある日、三角形の形になるように段重ねで、高いところまで展示ってことになって。これも、使いづらいかもと思っていた8mの高さという展示室のスペックが、作品の展示構成によって、有効に活かされた。

池田葉子

そうですね、新美術館でなくてはできなかった、という展示になりましたよね。

宮島綾子

いつもは作品に合わせて展示室の壁を作りこむ、っていうやり方をしている中で、逆に作品の方が展示室に合わせてきてくれて、展示室と対話しながら作っているという感じがして。写真ってサイズがいろいろ変わるのか、とか、アホみたいですが、新鮮に実感しました。

辰野さんの場合は、絵画のサイズが決まっているので、きちんと引きを取って見られるかとか、壁長が足りるかっていうところを考えながら、空間を決めていった。その空間の決め方というか、空間構成を考える時の段取り、進め方が、とくにお二人の展覧会だったからよく見えたのかなと思うんです。グループ展、たとえば7名8名の現代作家さんの展覧会のときは、2,000m²を7~8名で割ると、せいぜい200から300m²をお一人に使って頂くという感じで、空間構成までは踏み込めないことが多いので。

それと、写真というと、プリントされたものを借りてきて展示することが、それまでの自分の展示の経験では多かったので、こういうふうに展示室にあわせて作られてくるっていう、、、写真ってサイズが変わるんだなって思った。

でも一方で、どんな写真でもそれができるかというと、そうじゃないだろうなって思って。すべての写真が、小さくなっても大きくなっても作品として成立するかというと、そうではないんじゃないかと。それを作っている作家さんの意図、制作の意図であったり、どういう意味を込めてらっしゃるかってことによって、展示、鑑賞にはこのサイズが一番ふさわしいと、大きさが限定されてくる作品もあるだろうな、と考えて。でも、柴田さんの作品は、小さくしても大きくしても、いろいろ組合せや並べ方ができて、展示が成立する。それは造形的に自立性があるからこその特質なんじゃないか、というようなことを考えさせられた展示でもありました。

池田葉子

写真は(サイズを)変えられますからね。

宮島綾子

そういう意味で、池田さんの写真でもサイズが変わるってことで面白い体験をしたことが。サイズが変わっても作品なんだっていうことを面白く体験したのが「sensation」(ギャラリーメスタージャでの個展 会期:2015年6月8日–6月27日)、2015年だったんですね。

池田葉子

合っていると思うんですけど。2015年です。確かです。

このDMが束で送られてきた時に可愛かったと言うか、側面が面白かったのでiPhoneで撮ったのがあったので今回(トークで)使ったんですけど(図37)、これがDMですね。(実物のDMを見せる。)

宮島綾子

DMを送っていただいた時に、かっこいいと思って。キュッとしてて。

池田葉子

ありがとうございます。

宮島綾子

でも、そのイメージが強かったせいか、展覧会を見に行った時になんとなく、ちっちゃい写真なんだろうなと勝手に思っていたんですよね。それで実際拝見してみたら、、、はい。

池田葉子

これ(図38)、(トークの)最初(の方)に見せたのと同じギャラリーメスタージャで、入り口から入っていってというところなのですけど、コの字型というかL字型になっていまして、こう入っていって(図39)、突き当たって曲がると最後の壁に(DMに使用したイメージを940x1160mmサイズにプリントした作品を展示しました。)(図40)。

(同じ作品を)この二階に展示していますので、またあとでご覧いただければと思います。

宮島綾子

(ギャラリーに)入って(すぐには)見えなくて、こういって、こういって、ここにあったんですよね、最後に。それですごく驚いて。

その日、池田さんが在廊、いらっしゃったんですよ。

池田葉子

確かそうですね、いました、いました。

宮島綾子

その時私が「驚きました」みたいな感じで話をした記憶があるんですけど。ポストカードのサイズでも、大きくしても、それぞれ独立した作品なんだということが、すごく印象的で。

他の作家さんからDMを頂いた時、たとえばそれが絵画の場合は、DMに載っているのは「作品の複製図版」なんだと、考えるまでもなく思っている。

でも、池田さんの(「sensation」)DMをいただいた時には、それを「作品」として見ていたということだと思うんです。その体験がすごく面白くて。会場で展示される写真が小さくなった複製図版、という意識ではぜんぜんなかったというか。

池田葉子

このまんま(ギャラリーに)あるんじゃないかな、みたいな。

宮島綾子

これも作品なんだっていう。DMを見た時、瞬時にそう認識したんだろうなと思うんですけど。表現として自立してる、としか言えないんですけど。それだけで完結した表現になっているからなんだろうな、と。池田さんがご自分のステートメントの中で、自分の写真は単純に物事を記録するということではないし、何かを説明したいモノでもない、自分でも知らない未知のモノを見てみたい、っておっしゃっているんですが、そのとおり、これ(DMの作品)は未知のモノだなって。

池田葉子

そうですね、これなんかは大きく伸ばしてみたらどんなふうに見えるか、っていうのが、たぶんあったんだと思うんですよ(笑)、その時のことって、忘れちゃってることが結構あるんです。

大きく伸ばすというのは、自分でなかなかあのサイズにまでできないので、ラボにお願いしてるんですけれども、大きくしてどうか、っていうのはちょっと賭けみたいなところもあって。

私はブローニーサイズっていう中盤サイズのカメラを使っているので、ある程度は大きくしても平気なんですけど、そんなに大きくするとどうなのか、みたいなところがあって。ハラハラしつつも、大きくしてどうなるか見てみたい、というのはありますね。

宮島綾子

「sensation」の前の、「semiconscious note」の展示の時は、わりと同じサイズの写真が並んで、またちょっと並んで、という感じで、あまり(サイズの)変化がなかったんですけど、この時(「sensation」)はわりと変化があったような気がして、そのあたりのことを聞かせてください。

池田葉子

その(「sensation」)前にギャラリー・アートアンリミテッドというところでグループ展を何回かさせて頂いて。それまではこのぐらいのサイズ(20x24インチや11x14インチサイズ)までしかやっていなかったんですが、その時も大きくしたらどうか、っていう大きさに対する意識が、もともと、もっと大きくしてみたいな、というのはあったんですけども、そこまで強くなくて。一回(ギャラリー・アートアンリミテッドのグループ展「Secret Garden Part2」(会期:2015年4月25日–5月23日)の時にやってみると、もっとやってみたい気持ちが強まって。

大きいのを、4点ぐらいだったと思うんですけど、(「sensation」の時に)やってみて。

まず大きく伸ばす写真はどれかっていうのを決めて、それからそれに合うもの、という言い方は変ですけど、という風に決めていったような記憶があります。そんなに広くないスペースなので、強弱をつけることで、大きいものを展示したとしても、窮屈に感じないように、大・小・小みたいな感じで入れていったらいいかなと考えていたと思います。

宮島綾子

メスタージャもわりと形が変わってるなっていう。

池田葉子

そうですね、変形な感じでしたもんね。

宮島綾子

池田さんが「空間と展示」ってことで考えられたというか、これまでの展覧会の中で意識するようになったというのはどのあたりから?

池田葉子

(「sensation」開催年と)同じく2015年にモンスというベルギーの南西部にある都市なんですけど、ほぼフランスよりなんですが、(ヨーロッパの地図を指して)モンスはここらへんですかね、ざっくりいうと。そこで展示をする機会があったんですね。

それはなぜかというと、ヨーロピアンキャピタルオブカルチャー(European Capital of Culture)という、欧州文化首都というプログラムがありまして、これはEUが指定した都市で、一年間に渡って、アートだけでなくカルチャー的なもの、ダンスパフォーマンスがあり、演劇もありみたいな感じで、いろんな文化を展開していくっていう事業があるんですね。

これは1983年にギリシャの文科大臣、メリナ・メルクーリ(Melina Mercouri)が提唱して、1985年にアテネを最初に指定都市にして始まったらしいんですね。それで毎年指定された都市が、1年間に渡っていろんな文化事業をしていくってヤツなんですけど、2015年はベルギーのモンスとチェコのプルゼニという都市で。今年はどこか調べたらイタリアのマテーラとブルガリアのプロヴディフというところが指定されています。ここで本当に短い期間だったんですけど展示する機会がありました。(「Regards de femmes」 Mons 2015, European Capital of Culture, Maison Folie, Mons, Belgium 会期:2015年10月15日–10月25日)

元小学校のスペースを活かしたところでやりますよと言われて壁のサイズをもらったので、こういう風にしようかなと思って作ったプランです(図41)。

(制作のための)予算がついたり渡航費がついたりして、私としては画期的なプロジェクトだったんですけど、そうはいってもそんなに予算はなくて。どのぐらい(の予算)と聞いたら、(小さめの作品を)額装して展示するとしたら4点ぐらい飾れると思うよって言われて、4点じゃちょっとな、と思って。できればもっとたくさん作品を見せたいと思って、印画紙にラミネート加工をして、壁に釘で打ち付ければそんなに予算もかからないし、たくさんイメージを見せられるというので、こういうプランを考えました。

作品を準備して持っていったんですけど、実際行ってみると、ここ(図42)で分かると思うんですけど、壁に凹凸がありまして、古い建物だったので前に展示した釘が埋まっていて、それを無理やり白でペイントしてボコボコだったんですね。壁の下の方までプリントを展示する予定だったので、急遽、これはちょっと無理だと思って(展示の位置を)上の方にしたり点数を減らしたりして、こんな感じで、これが仕上がりなんですけど、展示しました(図43   図44   図45)。これがオープニングの様子です(図46)。

それまでは額装で見せるのが自分の中では当たり前だったんですけど、そうじゃなくても良いのかな、みたいな。けっこう自由になりました。

宮島綾子

壁がボコボコだったから自由に(笑)。でも本当はもっと下まで展示したかった?

池田葉子

そうですね。プランを送ったときも、ヨーロッパの人とか(足元を)気をつけて見ないから、下の方に展示するのは良くないよ、と言われてはいたんです。額装ではなくて、テンポラリーな感じの展示を目指していたので、それも(作品が汚れても)良いかなと思っていたんですけど、結局下の方には展示することはなかったんですね。これをキッカケに「自由度を増していこう」みたいな方向になっていきまして。

この後、モンスの展示を見てくれたベルギーのアントワープにあるギャラリー、Ibasho Galleryの人、まだ若いギャラリーで2015年に活動を始めたばかりなんですけども、ウチで展示しないかと言ってくれて、そのまま(モンスで展示した)作品を持っていって、2016年のはじめの方に展示しました(図47   図48 個展「Monkey Puzzle」会期:2016年2月18日–3月26日)。

そのあとに、ご紹介にもあったように、写真の町東川というところの東川賞、新人作家賞、もう新人という年齢ではないんですけど、恥ずかしながら新人作家賞をいただきました。

そのこともありまして、ギャラリー・アートアンリミテッドで個展(「Monkey Puzzle」会期:2016年6月4日–7月2日)をさせて頂くことになったのですが、その時もモンスで使った作品を流用というか、プラスいくつか新しいイメージも足したり、額装の作品も足したりして展示しました(図49   図50)。

で、写真の町東川賞受賞作家展(会期:2016年7月30日–8月31日)というのが8月にあったんですけど、そのときもモンスで使った作品プラス新たに作った作品という感じで(展示しました)(図51   図52)。

はじめは(モンスの)テンポラリーな展示の(ためだけの)つもりだったんですけど、使うことができてラッキーでした。

自由度を増したところで2018年に(ギャラリー・アートアンリミテッドから)展覧会、また個展の話を頂いて、(前回)自由にやらせてもらったので、今度は違った形で展開したいなと思っていたんですね。どういう風に展示しようかなと(考えて)、結局こういう形になったんですけど。(図53 個展「Crystalline」会期:2018年6月8日–7月7日)

どうしてこういう形で展示をしたかというと、2018年の1月にロンドンに行く機会がありまして、ロンドンって美術館とかの常設展がほぼ無料で観れて、すごく良かったんですね。これは(図54)ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館 (Victoria and Albert Museum)。写真はないんですけど、ナショナル・ギャラリー(The National Gallery)やナショナル・ポートレート・ギャラリー(National Portrait Gallery)とか。

これも(図55 The Wallace Collection)無料で観られる、素晴らしい邸宅を美術館にしているスペースで、こういうお部屋がいくつもたくさんあるんですけど、そこで自分のコレクションをこれみよがしというか、これだけ持っているんだぞ、みたいな感じで壁一面に展示しているのを見て。こうやってまとまった感じでコレクティブに見せるのってすごく面白いんじゃないかなとか思って。

もちろんメディアも違いますし、額縁とかの感じも全然違うんですけど。こういう風に見せると今回の“combine”という(のと同じで)、なんというか、作品と作品の作用の仕方が面白いんじゃないかなと思って、こういう感じで展示したんですね。(図53

こんな感じで展示に対する意識が、今は高まっている感じです。

宮島綾子

展示のキッカケになったのがヨーロッパの美術館でいろんな展示を見られたってお話を聞いていて、実際何をご覧になったんだろうと思っていたんです、このトークの準備の時に。

これ全部、すごくいい絵画なんですよね。一点一点の質がものすごく高くて。(図55の)真ん中にあるのはアリ・シェフェール(Ary Scheffer)という19世紀の画家の絵(「パオロとフランチェスカ」1835年)。そういう大事な絵を核にしていて、基本的に並び方は、完璧に色と形のバランスとか、額の大きさのバランスとか、造形的なところを重視して並べた展示なんだなと思って。西洋の古い絵画って物語を必ず描いているので、何を伝えているかが重要なのと、風景画だったり肖像画だったり、何が描かれているかって事がまず重要なんですけど。でも、この展示は、何が描かれているってことはもちろん分かるけども、一方で構図とか色とかのバランスを見ながら全体で展示している。同じように、池田さんの写真のコレクティブな展示も、いろんな写真をギュッと寄せ集めて並べて、それが変じゃないっていうのが凄いことだなと思ったんです。一点一点の造形的なつくりが完結して面白いからこそ、いろんな並び替えのパターンの可能性がみえるんだろうなと思って。

池田葉子

これ(図53)が決定版ではないかなと思って。その時点でのベストだったんですけど。

今思えばアレをこうしたほうが良かったなとか、下のラインを揃えた方が良かったなとか、いろいろ反省点はあるんですけど、そうですね。

宮島綾子

一点として鑑賞できるけれども、全体としても鑑賞できるのが面白いなと。すごく楽しかった。

池田葉子

ありがとうございます。

バンと(一つの壁にコレクティブに作品が)あるとインパクトがあるかな、と思ったんです。

ここ(図54   図55)まできらびやかな感じにはなりませんでしたけれども。一つ一つの作品、さきほどもおっしゃったようにすごく素晴らしい作品ばかりなんですけど、全体のきらびやかさというか、すごく印象的で。こういう展示の仕方がサロン風というんですかね、(知識として)分かってはいたんですけど、(実際に)目の当たりにするインパクトっていうのが違ったなって。

宮島綾子

もっと昔のサロン、こういうサロンの展示って17世紀からなんですけど、その頃は歴史画・肖像画とか人物を描いている絵が偉くて。

池田葉子

ポジションが上なんですね。

宮島綾子

ポジションがあるんですね、画題によって。風景画や静物画はヒエラルキーが低いんです。本当に昔のサロン風の展示だと、人物を描いた一番偉い絵っていうのが上に来ていて、しかも歴史画が一番サイズが大きい。その形式が、ここ(図54   図55)では踏襲されていなくて、一番大きい絵、かっこいい絵を中心にして、周りを見ても、主題は風俗画であったり静物画だったり風景画だったりで、とくに主題によって並び替えているというわけでもなくて、色や形のバランスを見て並べていて、一体感のある、コレクティブに見られるものになっているという。それも、一点一点質が高いものでやっているから面白いだろうなと思うんですけど。それを池田さんがみて面白くて、自分でも(やってみたい)っていうのが分かる気が。

池田葉子

私は一点一点の、これがどういう絵で、というのをよく知らないので、宮島さんとは違う感じ(での受け止め方)だったのかもしれませんけど。

宮島綾子

池田さんの写真も、一点一点が完結して、写真に自立性がある表現というか、現実のものを確かに写しているんですけれども、その現実ではなくて、「この写真にしか無い」っていうモノをいつも見せてもらう気がするので、このイメージがユニークなモノなんだっていう事を今回も思うんです。

池田さんの写真を見ていて、私もこの場所に行きたいとか、そういう事はぜんぜん思わなくて(笑)、ところでこれって写ってるの何なんですか?って後で聞くことが多いのですが。(実際に何を写したものかには関係なく)もうこの写真を見てたらこれで良いやっていう、それがすごくいいなと。

池田葉子

そこに行きたくなるような写真ではないことは私も思います(笑)。(撮影場所に)インバイトするような、そういう画(え)ではないですよね。

宮島綾子

そういう意味では、なかなか言葉で形容しづらくて、「池田葉子の写真」と言うしかないな、と思うんですけど。そういうものがコレクティブにいろいろな組み合わせで並んだ時の集合した力って、すごいな、面白いなと思って見ました。

今回の展示も、私も今日初めて見て、サイズとか自分で勝手に想像していたものとまったく違って、並び方も一つ一つの壁で違っていて、すごく面白いです。

池田葉子

ありがとうございます。

じゃあ、そんなところで約1時間半かな?経ったので、せっかくなので宮島さんに質問などありましたら。私にも何かありましたら。

宮島綾子

何を撮っているんだろう、っていう質問でも。

(展示されている作品を指して)私も、そこの真ん中の写真(1668-01 New York, NY, USA 2018)が気になって、さっき池田さんに聞いたんですけど。

池田葉子

これは、今一番気に入っている写真で、メトロポリタン美術館で撮ったんですけれども、上に彫刻があるんですが、その台座ですね。

宮島綾子

私は、なんとなく織物なのかなって思っていて。写っているものが、思いがけないものなので、すごく不思議に思います。

そういうふうに写るって思いながら写している?それはプリントするまでわからないんですよね。

池田葉子

そうですね、それはぜんぜんわからないですね、デジタル(カメラ)ではないので。

(ネガフィルムを)現像して、プリントしてみて。よさそうなものをコンタクトプリントから選んで大きく伸ばすんですが、伸ばしても、ちょっとダメかな、っていうのも多くて。

(小さなプリントから大きなプリントへと)だんだん大きくしていく感じですね、手順としては。

宮島綾子

一応見えているんですけれども、見えていないものを瞬間的に捉えているので、あとになって自分で見る、ってことが、写真ってそういうものだと思うんですけど、特に池田さんの写真を見ているとすごく不思議に思います。

池田葉子

自分の中でもちょっと実験的な心持ちはありますね。

長年やっているので、こんな感じかな、っていうのは掴めそうなんだけど、でも、(結果として)ぜんぜん面白くなかった、というのが多いので。

やっぱり、やってみないとわからないな、というのが、ちゃんとプリントして大きくしてみないとわからないな、というイメージが多いですね。

宮島綾子

たぶん、私がその彫刻台の前に立って、その角度から見ても、まったくそうは見えない(笑)。そういう意味でも、そこ(池田さんの写真)にしかないものを今見ているんだなと。

池田葉子

カメラ(のレンズ)を通さないとこんな感じにはならない、っていうのはありますね。

--- 終 ---

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