今日の絵画が低迷しているからといって、そこに新しい動向の発生を期待するのは、余りにジャーナリスティックな態度である。絵画が死んだと言われた1970年代以降にも、これを信仰とする画家はいくらもいたし、もちろん現在にも優れた制作を持続している作家は少なくない。だいたい絵画を失ってしまうことは、精神分析でいう去勢の恐怖に近い美術の不安を呼び起こす。

しかし、新表現主義以降の絵画が大きなトレンドとなりえたのは、ひろい意味での文化論となったボストモダンの議論によってであり、個々の作品のクオリティに対する吟味がそこではしばしばないがしろにされるきらいがないわけではなかった。1968年を境にあきらかになったこの動向は、当然なことに今日ひとつのサイクルを閉じようとしている。

いま日本の美術界の一部で絵画論が再び浮上しているのは、去勢に対する脅えという無意識にもつき動かされた、ポストモダンの理論に代わる新しい物語への希求があるからである。事実、B・ニューマンの絵画にあきらかなように、世界最終戦争としての第二次大戦の後に、西洋が帰ろうとしたのは、彼らの故郷としての神話や聖書という究極の物語であった。ニーチェ以降、一般には死んだものであった聖書の世界が、二度の大戦という世界の破局の体験のたびにいつも芸術の世界によみがえったのは、ストーリーに対する人間の渇望というものをよくあらわしている。

だが、今日の日本で、その液状化した文化からどのような物語が創造されるかと言えば、いまだに未知数である。こうした時代に生きる画家は、それゆえに借り物でない、自前のストーリーを個々に描きださなければならない。

吉川民仁の制作は色面、パレットナイフや絵筆によるストローク、滴り、そして引っ掻きにも似た線描によって、複雑な層をもつ絵画空間を生み出し続けている。パネルを石で覆った支持体は、アクリル絵の具を広げていく手法にも、あるいはストロークを密集させる意図にも適している。とりわけそのとらわれない線描は、この画家の解放的な資質をよく示すものであり、そこここで生起するその自律的といってよい運動が、予定調和的な画面のハイエラルキーを解体して、画面が限定された空間ではなく、むしろその外への想像的な関係をうみだす契機でこそあるとする性格を作品に与えている。このたびはメインとなる作品を6点出品しているが、内2点はそれぞれ黄と黒のモノクロームに近い作品であり、ここには色の関係性を排除しても、絵画がなお存立しうる所以を探究する意図がうかがわれる。

吉川のとらわれない線の運動は、しばしばサイ・トゥオンブリとの類似を指摘されるが、ロラン・バルトにならうまでもなく、トゥオンブリの線はそもそも模倣できい。なぜなら線とは身体の官能的代替物であり、その身体は模倣できないものだから。

「TW(トゥオンブリ)の作品が読み取らせるのは、私の身体は決して君の身体ではないだろうと言う宿命である。人間のある種の不幸を要約し得るこの宿命から抜け出す手段は一つしかない。誘惑である。私の身体が他の体を誘惑し、熱狂させ、あるいは、混乱させることである」(R・バルト「サイ・トゥオンブリ」、沢崎浩平訳)。もっともなこの指摘は吉川の作品にそのままあてはまる。問題はその身体が液状化した現代日本の文化とどう共振するかということだ。

(読売新聞記者)

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