“Red, Canvas, Electricity...” Paris 1971-Tokyo 1994 + Prints

Solo Exhibition

September 7th – October 20th, 2013

1971 Biennale de Paris

YOSHIDA Katsuro (1943–1999) is known as one of the main artists of “Mono-ha”, Japanese art movement in the late 60’s - early 70’s. One of his works titled “Red, Canvas, Electricity...” that was first displayed at the 7th Paris Youth Biennale in 1971 and he made a re-creation of this work at “Mono-ha” exhibition at Kamakura Gallery (Tokyo) in 1994. In the current exhibition, the re-creationed one and his silkscreens from 1970 to 1972 are on display.

吉田克朗

“Red, Canvas, Electricity...” Paris 1971-Tokyo 1994 + Prints

2013年9月7日–10月20日

展覧会概要

吉田克朗(1943–1999)は多摩美術大学で斎藤義重教室に学び、1960年代末から70年代初頭にかけて未加工の工業素材や木・石などの自然物を用いた作品を発表しました。この活動はのちに「もの派」として李禹煥や菅木志雄、榎倉康二らの作品とともに知られることとなり、近年では欧米でも評価・研究がされています。60年代後半より現代日本美術展(東京都美術館他)、現代美術の動向展(京都国立近代美術館他)、ジャパン・アート・フェスティバル(東京セントラル美術館他)などに出品してきた吉田は、もの派の重要な作家であると同時に、常に時代の先端をゆく芸術を牽引してきた一人といえます。

1971年、28歳の作家が第7回パリ青年ビエンナーレに出品した「赤・カンヴァス・電気など」(赤い絵具で連続的な形状が描かれた幅広のキャンバスと裸電球を用いた作品)は、作品を構成する素材をそのままタイトルにした一連の作品群のひとつです。今展では、1994年に鎌倉画廊で開催した「モノ派」展にて再制作された同作品を約20年ぶりに展示し、血気盛んな作家の漲る独創性を再認識する機会に致したく、企画致しました。

また、作家は活動のもうひとつの軸と言える版画でも各国の国際版画展に数多く出品してきました。「赤・カンヴァス・電気など」が制作された周辺の年代の版画作品から、1970年第1回ソウル国際版画ビエンナーレに出品された3点(東亜日報賞を受賞)をはじめ、70年から72年制作の版画を合わせて展示致します。逝去から14年近くの歳月が流れましたが、その斬新な作品群は今なお各国の人々を魅了しています。一昨年開催した吉田克朗展に続く、記録としての意義が深い展覧会になります。ぜひご高覧下さい。


色という物質との出会い

一面の桑畑の中を行くと遠くに松林が見える。その中にひっそりと建つ県立小原結核療養所、そこが克朗の青春時代を過ごした場所である。高床の木造建て、人の気配もなくただ開け放された窓から窓に風が通ってゆく。事務室に看護婦さんが現れ、克朗とレントゲン写真を見ながら何やら話していた。そして私たち二人は晴れ晴れとした顔になり、その場を辞して二度とそこへ行くことは無かった。帰りに克朗の義姉の実家である家具店に立ち寄ると、私達の門出にと安アパートには不似合いの立派な桐ダンスが用意されていた。当惑しながら眺めていると、店内のラジオから三島由紀夫の楯の会事件の速報が流れた。その時から一年を待たず長男を授かり、と同時に克朗は初の海外へ旅立つことになった。パリ青年ビエンナーレに参加する為である。年の差わずかながら既に大御所の風格を持った岡田隆彦コミッショナーは、克朗とは歯切れのいいユーモアの応酬を楽しむ良き友人でもあった。その年の一月、シロタ画廊で初めて試みた、大胆にも真っ赤な絵の具を直接壁に塗る作品を出品、白田貞夫氏を震え上がらせてしまった。インスタレーションという言葉はまだ定着していない頃で、日本にはこのようなことを受け入れてもらうチャンスは極めて少ない。そこに到来したのが、パリのビエンナーレというわけである。それから約20年後、銀座の鎌倉画廊で再度そのチャンス得、その時はキャンバスに描き展示した。そして更に20年を経た今、当時の作品を捜す様に言われ、伊豆のアトリエ等も捜してはみたものの、現れてはこなかった。紛失したと思い込み捜すことも諦めていたその作品が、鎌倉画廊の中村さんが来宅、個展に出品するための版画作品を見にいらした時のことである-------正にその時を選んだかのごとく彼女の目の前にハトロン紙に包まれ無造作に立てかけられているものがあった。中村さんは「これは何?」と言われ、開いてみると、『克朗さん・・・・・』と一声。まぎれも無く1994年に鎌倉画廊に出品したものであった。

克朗の作品が、このような形で出現するのは、これが初めてのことではない。人目につかない家の中にあり、巧まずしてタイミング良く見つかっている。今回の個展とこれからの展覧会を含め、レトロスペクティヴなものではなく今もなお続く創作活動と思って頂ければ幸いである。

2013年9月 吉田榘子

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