「空間の溜り、芸術の着床」

峯村敏明

モノがある働きかける人がある。その間に何らかの作法がある。しかし、モノはその都度あらたまり、飼い馴らされず、繰返されず、従って、「ある芸術」に固有の媒体となる気配を見せない。固有の媒体がないから、この「ある芸術」は、一見したところ、造形芸術としての確たる形式をもたぬ風情で、捉えがたい。モノと作法、モノと関係概念は、約束の媒介項を欠いてその都度生々しく直結し、いわば、利休によって原理的レベルに還された刹那の茶道にも似た、純粋状態を保つことになる。

これが、過去15年間、菅 木志雄が身をもって示しつづけてきた稀有な芸術の姿であった。モノよりもその依存関係における存在のリアリティーを、空間よりもその相対的な働きの場としての状況を、根幹とする。このような芸術を、私たちは近代以降のメジャー・アートの舞台で見たことがなかった。だからこそ、私たちは菅の芸術の成行きに尋常ならざる関心を寄せてきたのである。と同時に、芸術の継承性(模倣されやすさではない)という点で一抹の不安を抱かずにはいられなかった。

媒体は繰返され、再耕作され、継承されうるが、作法は模倣されるほかない。モノと空間を芸術専用の媒体として扱うことを拒否した菅の芸術は、先行するあれこれの具体的な芸術に負うところがほとんどなかったかわりに、いい意味での継承性にも無関心であるかに見えた。

だが、私の思い違いでなければ、こうした菅の芸術に、最近、見逃がしがたい変化が生じ始めたようである。変化というより、何かの定着と評した方が適切かも知れなさらさらと潮の流れゆくにまかせてきた真珠貝が、内肌にゴミ(核としてのモノ)を定着させ、そのまわりに玉虫色のふくらみをつけ始める。それに似たある定着と堆積の気配が見られるようになったのである。

そう思わせてくれた最初のきっかけは、昨年9月、かねこ・あーとギャラリーでの個展であった。矩形の板のタブローの上に、紙のへりを折り上げて浅い空間を抱くような恰好にした四角い紙のプールが1つないし数個取り付けられている。水のない水盤の形である。壁に掛けられていたから、それらは物理的にはレリーフと称してよかった。が、近年流行している構成的ないしオブジェ的なレリーフの類いではない。実際の空間をタブローの形状に即して平面上で捕捉しているそのさまからして、1960年代初に平面からレリーフや立体に移行しようとしていた一群のアメリカ美術家たち(ジャッド、ルウィットら)の作品に一脈通じるものがあると評した方がよかった。

だが、それ以上に、それは、端的に言って、私に狗巻賢二を思い起こさせてくれた。1970年、あの『東京ビェンナーレ』で、狗巻が美術館の空間的限定に対応させるようにしてつくった大きな紙のプールのことである。スケールと作品の支え(床と壁)には大きな違いがある。けれども、どちらも、一定の限定的な場(一方は展示室、他方はタブロー)の内側に、それと対応してもう一つの空間の溜り(器であると同時に内容でもある)を抱かせている点では同じだった。しかも、その手段として、軽やかな紙の四辺のへりを浅く折り上げるという工夫を行なっている。そうすることによって、菅は、かつての狗巻と同様、空間を物体の代用物としてからめ取るのではなく、開いたものとして、しかもなお具体的な状況の諸条件のなかで一定の定着性を具えたものとして、つまりは、状況の核、なんなら造形の核となりうるものとして、具体化することに成功しているのである。

これは少なからぬ発見だった。菅の作品に、比較的近年の先人の作品の面影を見るなどということは絶えてなかったことだからである。菅が学生時代にアメリカのミニマル・アートを研究したことも、70年代に入って狗巻をことのほか尊敬していたことも、私はよく知っている。しかし、これまでの彼の仕事に、その具体的なしるしを見たことはなかった。「狗巻」を思い起こしたのは一観客の勝手とはいえ、やはりこれは新しい事態にちがいない。

独立独行15年、菅はついに疲れたのだろうか。

否、否。作品から受ける印象はまるで逆だった。菅は疲れて先例にならったどころではない。彼はついに、継承可能な空間処方の種子を自らの表現の器に植え込むことに同意した、そしてそうするだけの二枚腰の強さを獲得したのではあるまいか。旧知の狗巻の、彫刻に由来する手法を「空間の溜り」と解釈して自分の作品形成の輪に引き込んだとき、彼は、空間を、継承可能で形式的に批判展開することの可能な一種の媒体として受納したのではあるまいか。

翌々11月、横浜市民ギャラリーの『今日の作家展』に出品された菅のインスタレーション作品は、この推量を肯定的に裏打ちしてくれるものだった。水なき水盤は、こんどはカラー鉄板(トタン)で現実空間のスケールをもってつくられ、タブローの上ではなく、美術館の床の上を、互いに連接し合いながら、水平に展開し、ときには内接して重なったりしている。

徇巻作品を思い起こさせる要素がさらに増していることは言うまでもない。が、それ以上に目ざましいのは、かねこ・あーとギャラリー出品の前作との間に、はっきりと形式上の展開が見られることである。かねこでのレリーフは、タブローの形と場所性に著しく規定されたものだった。従って、ジャッドや狗巻がミニマリストとしての感性からして「空間の溜り」を場の求心力と遠心力の張り合う中間に位置づけようとしていたやり方に、大筋のところ準じるものだった。ところが、横浜の床作品では、水盤形の「空間の溜り」はそれ自体に何がしかの凝集力、粘着力、連接能力を具えていて、場に対しては相対的な自立性を獲得しているのである。つまり、横浜の菅は、ミニマリストの窮屈な場との関係からも、彼自身のかつての等価同質な空間分節の作法からも離脱して、ある「空間の溜り」を彼自身の芸術の原基的な細胞として所有し始めたらしいのである。

この原基的な細胞としての「空間の溜り」―――。私に「定着」の気配を感じさせたのは、この「溜り」にほかならなかった。他の作品、たとえば、昨年中に並行して発表された数次にわたる大谷石のある作品でも、この「溜り」はある。柵のように立てられた石柱の上端がかつてなく丁寧に角を落とされて、再使用可能な、馴致された姿を見せている。繰返され、再耕作され、継承されうるもの、すなわち、「ある芸術」に固有たりうる媒体の気配が、そこにも見られるのである。

こんどの個展で、私たちはこの「空間の溜り」がますます強い自立性と可塑性を、すなわち自己形成能力を高めてゆく貴重な過程に立ち会うことになるだろう。通し題名の「スクウェア・ポンド」が暗示するように、ここでは場であることとモノであること、器であることと内容であること、素材であることと表現であることとが、互換的に、分かちがたく、一つの両義的なボディーとして実現されている。四角と見えたものは器(池)であり、だが、器と見えたものは実は「空間の溜り」を湛えた細胞であり、細胞と見えたものは、その実……。この環は閉じることがない。この尽きることのない両義性の連鎖こそ、およそ豊かな芸術が、古来、神様から授かってきた(その芸術に固有の)媒体の属性ではなかったろうか。

コレが菅の芸術の媒体だと、言葉をもって指し示すことはまだ許されないかも知れない。いや、今後とも、この類いなく柔軟な芸術は輪郭確かな媒体をも呼称をも滑り抜けてゆくにちがいない。とはいえ、いま形成―変容―組替えられつつある菅の空間の溜り(ポンド)は、私たちが一般に芸術的媒体とそれがもつべき形式に対して期待しているものと同質のものを、すでに機能させ始めているのではあるまいか。

事実、こんどの作品は、その空間の溜りによって、モノの自立と依存との弁証法的関係をある種の官能性を帯びて肉体化しており、出色である。概念的図式やインスタレーション一般の暗愚は、その影もない。ミニマルを受け継いで、モノ派を貫いて、だがそれらすべてを乗り越えて、いま、菅 木志雄は新しい段階に入ろうとしている。流産召さるな。

1986

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