ヤン・ディベッツは今日最も国際的な性格の国、オランダの美術家である。その芸術は、1960年代後半の西ヨーロッパとぃう、芸術活動が最も国際化した状況のなかで形成された。実際、彼の仕事のほとんどは、写真、フィルム、ヴィデオなど、国際的にほぼ完全に規格化された手段を用いてなされている。ディベッツの名は、写真による芸術という、過去10数年間にどの工業先進国においても盛んになった現象の入口に、表札のように刻みこまれているといっても言い過ぎではあるまい。

しかし、環境と手段が国際的だということは、一つの真実でしかない。この真実だけで一芸術家の芸術の神髄をも理解することが可能かどうかとなると、話は別であろう。ディベッツの同国人ルディ・フックスは別の観点が必要だと考える一人である。彼は、風土に根ざした芸術とたんなる地方芸術とを区別したうえで、次のように語っている。

「ヤン・ディベッツは風土に根ざした芸術家である。彼はオラングの文化を受け入れてきた。そのなかでこそ、自国語を話すのと同じ自然の気安さで動くことができるからだし、その領域でこそ自己表現をせざるをえないからである。その外では本当の自己表現はできない。このように自在に振舞うことができるのであるから、彼自身の風土的文化はけっして牢獄なのではない。むしろ純粋な自由である。風土的なもののなかの自由だからこそ、彼のつくる映像はかくも完壁に彼の文化とぴったり調和し、一度見たら忘れられないような映像となっているのである。彼の映像は、つくられるより前から、いつもそこにあったように思える。これは真の芸術家である証拠である。偉大な芸術には文化を生き返らせ、ほとんど忘れられていた記憶を甦らせる独特の力がある。ディベッツの芸術の質と意味は、彼と同じ系譜上の友人たち、モンドリアン、ロイスダール、サーンレダムによって担われている。と同時に、彼の芸術は彼ら先輩芸術家たちの質を担っているのである。」

ちなみに、フックス氏は国際的視野の活動で有名なアイントホーフエン市のファン・アッベ美術館の館長である。ことし第七回カッセル・ドクメンタ展の総括コミッショナーでもある。彼の論旨が芸術の国際性を否定するものでないことは断るまでもあるまい。デイベッツの仕事が普遍的な評価に耐えるものであることを認めた上でなお、というより、それを認めればこそ、その普遍性がオランダの文化的風土に根ざした、いわば固有のテリトリーに発した芸術の持ちうる普遍性であることを強調したかったのであろう。私はこのような観点を大切に思う。大切なだけでなく、今日ますます必要な観点であろうと信じる。

もし、文化的風土という観点――場の自己限定、及び限定のなかの自由という考え――を全然持たずにディベッツの芸術を考えねばならないとしたら、はたして私たちは正当な評価を持つことができるだろうか。たとえば、もう一人の同国人E・デ・ウィルデの次のごとき結論は、浅薄に響かずに済むだろうか。

「ディベッツの仕事には内的な一員性がある。その時期その時期で作品が違うように見えるかも知れないが、彼の念頭にあるのはいつも同じこと、すなわち、日に見える知覚的現実を抽象作用のうちに統合すること、なのだ。光と色、抽象的構造、目に見える知覚的現実がもつ表現的な質、こういつた事柄に関心があるということは、たとえ彼が絵具や筆の代りにカラー写真を用いてはいても、ディベッツが真の画家だということを示しているのである。」

これらの指摘はすべて正当にディベッツの芸術の特質を穿っていよう。とはいえ、それらはあまりに絵画芸術一般の特質と重なっているために、ディベッツの芸術を、実体のない抽象的な国際通貨SDRのごときものに見せてしまいかねない。

だが、本当は、ディベッツの光とはサーンレダムが描いた教会内陣に差し込む光のように無色透明な光、従ってそれ自体がオランダの匂いに満ちた光なのではなかろうか。また、彼の抽象構造とはたんにタブロー形式の上澄みとしてのそれではなく、むしろ、ロイスダールの風景画がオランダの低い水平線をタブローの四角形とを和解させるために編み出した重力のある(大地に方向づけられた)抽象構造に通じるものでもあるのではなかろうか。そうでなければ、カメラのファインダーが与える四角な枠組に従って風景や建築空間をあのように自在かつ抽象的に分節化するディベッツの仕事は、たんなる形式主義的な図形の遊びにしか見えないだろう。そして、フックス氏が言ったような「一度見たら忘れられない特徴のある映像」とはならなかったにちがいない。

矛盾めいた言い方だが、デイッベッツの抽象構造を支えているのは自然である。水平線、太陽光線、透視投照線、水面、窓枠、ブラインドの線、木立ち、カメラのファインダーの四角等に潜在する抽象性が、作品の抽象構造として編成されているのである。そのことは、

1973年ごろから始まつた何種類かのStructureシリーズでも共通して言えよう。映像のモンタージュは極度に単純化され、植物の茂みや水面や自動車の車体などの垂直映像がそのまま作品の非イリュージョニステイックな抽象構造となっている。色彩はほとんど自然との結びつきを忘れさせるまでに抽象化され、色彩自体の輝きと喜びをたたえている。とはいえ、これらStructureシリーズでは、どんなに自立した色といえども自然に由来しないものはない。水面であったり草むらであったり車のボデーであったり、いずれもが自然のある局面を潤色せずに直写した結果なのである。

これはディベッツが写真という手段を用いたことの結果なのだろうか。そうではあるまい。事実はむしろ逆であって、彼の中の絵画的欲求、すなわち「目に見える知覚的現実を抽象作用のうちに統合する」という目と心の欲求が、無理なく彼にカメラを持たせることになったというのが真実であろう。そしてその絵画的欲求とは、もう一度繰返すならば、オランダの文化的風土との相互交渉のなかで育つた欲求にちがいないのである。

私たちの知っている17世紀のオランダ絵画とは、他のいかなる地域のそれにもまして実証主義的なリアリズムに秀でたものであった。このリアリズムは19世紀末以降の西欧近代絵画のなかで視覚的事実性を重んじる現象学的なリアリズムからさらには絵画の形式に内在する内面的なリアリズムヘと転化し、作品自体の抽象構造を明示するものとなっていった。

ディベッツの芸術における自然と抽象との結びつきは、このような背景のなかで理解されるべきものなのではなかろうか。現代絵画の抽象化とイリュージョン追放が行きつくところまで行った果てに出てきた彼の写真による絵画は、しかし、水栽培のもやしみたいな浮草なのではなく、四百年の北欧絵画という「つくられた大地」に根を下ろした芸術だったのである。

そういえば、ディベッツもまたDutch Mountainという「つくられた大地」の創出者であった。

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