七月、鎌倉画廊で私の個展が計画されているというのに、そんな重大なことがらを前にしていながら入院してしまった。「何でか」と思ったが、ここ数年前から心臓の働きがかなり弱っている、と言われており、かかりつけの病院のすすめもあって、胸に心臓の働きを良くする機材を装填する手術を行うことになったのだが・・・。

これが又、私にとって世界観が変わるほどの経験、というよりも、私の住む世界についての驚くべき体験であった。体験というのは、私という人間は記号の集積だ、という経験であり、病院と私との関係は、記号を媒介とした情報処理の関係であることを、いやというほど見せつけられた、という経験でありました。

手術前の数ヶ月は通院して心臓の状態を観察する期間に向けられるのだが、診察室に入ると、私の担当医はしきりとテレビのブラウン管をのぞき込むように見ている。そこには私の血液や尿から判断された身体の健康状態が記号化されて配列してある。医者はおもむろに口を開く、「あなたの健康状態はすこぶる良好ですね・・・・・・」とブラウン管に顔を向けてそう言った。私はいぶかしげな顔付で言った。「私は健康なのですか?」と聞き返す。心臓が悪く呼吸もままならないというのに健康は無いだろう、と思ったからだ。医者は自信に満ちた顔付で厳かに言い放つ、「つまり私があなたに投与した薬の調合が適切に行われている、ということですよ」。

私は思った。それはまるで神の御告げのように聞こえた。しかし同時にどうもそれは、昔シャーマンが医療行為らしいことを行ったらしいが、そんなことを思った。

医者と私との関係は----医者と私は向い会って座る。医者は私の胸に向っておもむろに聴診器をあてながら私に向って語り掛ける。「あなたの心臓はこれこれしかじかの理由で大変弱っていますね。」などといって私の健康について報告し注意をうながす。

医者に掛るとはこのようなものだと思っていたのだが、どうも現実は大分違うようだ。医者は私の体に一度も触れることはなかった。しかも私を見てもいなかった。

今、私は、私と医療との関係は情報処理の世界であった、ということについて述べた。同時にそれは時代の移り変りに出くわしてしまった者の驚きであり、とまどいであった。  

情報処理、どうも今、現代人の知的欲求は情報に対して貪欲であるらしい、道を歩く者達を見ていると、ほとんどの若者は携帯電話を耳にあてて歩いている。私達の生活そのものも、記号とか符号という普遍的なるものに依拠して生活しているわけだから、生活とは、情報処理である、という理屈に行き着く。道を歩けば無数の記号・符号に出くわす。その情報に従わなければ百メートルも命は持つまい。この頃はテレビを見て買物をするようになった。ブラウン管は商品を記号として情報化する。カナダの社会学者マクルーハンの説によれば「メディアはメッセージである」と言ったがいよいよそんな時代となったらしい。その様な生活様式に対する肯定的態度は、ある種の進歩史観に基づいている。

ところでこの様な進歩史観としての生活信条は、どうも都会での話のようだ。私が今回医療と関係したので、その進歩的様態に驚き、その処理の仕方にとまどったということであった。私の住む場所、つまり一般的に地方、又は田舎ともいうが、こんなところに超近代的で抽象的な世界のおとずれがあった。そしてとまどった。

田舎でも若者は携帯電話を耳にあてて歩く姿が見られる。そしてこれも又風俗である。

しかし、都会と田舎との違いは決定的だ。都会はすべて記号化され抽象の世界だ、しかし田舎の生活は抽象的ではない。自然という現実があり、山、川、海、風、空等などまだ連続性が保たれている、これが又情報の根拠であり、人間の感性を根源的に裏打ちするものである。たとえば川だ。都会では川は地図上の一種の記号だ。田舎の川は記号とはならない。昨日と今日とでは川の様子は違う。一定の形ではない。生活は自然の営みと共にあり、共にある為の作法がある。子供が川で流されている。こんなことばは二つの意味を持つようになった。子供が川で流されるのは死を意味するが、田舎の子供にこのことばが向けられるとき、それは遊びを意味する。それは上流から下流へ流れに乗る遊びだから。

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