1960年代後半は、グループ幻触に参加し、活動を共にした充実した5年間だった。しかしのその間、充実を感じると同時に、心の底にわだかまるものを払拭出来ずに過ごした5年間でもあった。

幻触の活動は、主に「観る」にこだわった活動だった。対象を観るという問いは、ついに対象の上に観る者の知が投影されるに止どまる、つまり、対象とは「観る者が映る鏡」という事実しか生産されなかった。この事実は観る事の限界だろうか?しかし私達はこの観える事の向こうを尚且つ観ようとしてはいないだろうか。

対象の客体化を止めるとは、主体からのいささかな遠のきを意味する。この観る事をわきまえ自覚に至る為、問題を文化の根源的な場に還元する必要がある。「観る」が同時に「読む」営みだからであり、「観る」は「ことばを見る」であるからだ。

文化の根源的な場は、言語が生産される場であり、自然のあるがままの営みに人が手を付けたときである。人は連続体としての事物の広がりの世界を細分化し、それに名を与えた。そして概念で武装する。武装された概念は、「特種」として分類される。分類は諸科学、政治経済、芸術等に類別化される。そしてそれぞれが特種な価値や意味を冠されて自己目的の主体となる。

このように自己目的化された諸文化は、それぞれの自己の中に真理を孕むが故に、自己の内に孕む真理の論理化を計り、1つの文脈を発生さす。

したがって、細分化され分類化された「特種」から発せられるドグマ(dogma)は世界の無矛盾性を介して日常を制度化する。観る事もまた制度の内に習慣化す。このように特種によってうち立てられた世界は、自然世界がもつ全体観とは違う世界を構成するのだが、このような「特種」のエゴによって自己目的化された世界像が、今、人間の名のもとで滅び行く気配を色濃く感じるのは私だけではあるまい。

「芸術」(技芸と学術)―このような呼称が、まだ社会の中で生きて機能した時代は日本にあっただろうか。つまり芸術によって支えられ、裏打ちされた精神文化のことだが。私の知る限り、1960年代には各アカデミーの内側に芽生えた精神とその活動にそれを感じるのだが・・・・・・錯覚だっただろうか。

芸術も又「特種」であるが、しかし芸術は又「特種」に対して「一般者」である可能体であることも確かだ。観える事の向こうに存在の根本原理(メタフィジックス)を観ようと努力するからだ。

Top » 飯田昭二「幻触」の先にあるもの 2014年7月12日–8月10日