鎌倉画廊の企画で私の作品が展示されることになったのだが、この際、展示物について、いくらかの説明をお許し願いたい。それというのも、事物世界は、動的な運動体であって、決して静的な自己同一性ではない――と思っているからです。つまり事物は時間の内に息衝いているのが事実だからです。こんな思いは作品に表れています。

錆の作品などはその典型です。作品は刻々と変化、「酸化」しているはずです。だから、きのうのが本当の作品なのか、明後日が本当なのか、なぞと考えることは出来ません。その根拠はどこにもありません。

リンゴの写真があります。私はリンゴをかじって食べました。そして写真を撮りました。撮られた写真には私に食べられたきず口が写っています。私はそのきず口にていねいにリンゴの表面を描いて修復しました。これは、リンゴとは事柄を孕んだ事物性であり、このリンゴは時間を被っている、ということです。

川の写真があります。一見静的に見える川の流れも、実は数秒後には全部カメラの前を通りすぎて行ってしまいます。これは時間を被る、というよりは、ほとんど時間そのものではないでしょうか。

Top » 飯田昭二「幻触」の先にあるもの 2014年7月12日–8月10日