光を表現とするフレイヴィンの出発点は、芸術としての媒体の模索の時期と重なり合っている。アヴァン・ギヤルドは、かつてのフランス軍に返還されるべきである、という意味の言葉を吐いたフレイヴィンのことだ、新しいという語には語弊があるかもしれないが、ともあれ新しい媒体が新しい芸術形態を生起し得るかどうかが一つの課題になっていたのである。

彼の初期の作品は、抽象表現主義風のドローイングが、コンストラクション、言葉、そして白熱灯や蛍光灯などから成っていた。しかしながら、フレイヴィンが媒体の単なる信者でなかったことは、こうした作品がイコンと称されていたことにも伺える。それには『十字架への道』とか『オッカム』といったタイトルが付されていた。

ある批評家は、これをフレイヴィンがローマ・カトリック教会の神学校に学んだことと関連づけている。もとより、それが契機になってはいようが──光はその一要素であろうか──、過去の体験という個人には還元できない芸術上の背景、いや芸術上の現実要求があったように思われる。

 

フレイヴィンは、バーネット・ニューマンに捧げる作品を制作している。フレイヴィンのこの芸術家に対する関心は、形式な側面に留まっているのではなく、内容にもかかわっていよう。だが、たとえフレイヴィンがイコンと称する作品を制作したとしても、それは図像イコンの直接な表示であろうはずはない。光もまたただ中世芸術に類似されるものでもない。非歴史な様態を有する作品のなかに暗示に表わされているところにこそ有意義な表現があるといわねばならない。

フレイヴィンは、初期の試行のなかから蛍光灯(そしてわずかだがネオン管)を採択するようになる。それは「発見された物体オブジェ・トゥルーウェ」の一種であり、この電灯設備は単調な配列によって作品化されていた。だが、電灯設備という物体は、それが発する光のために物体を超える。ここには意識するしないにかかわらず、もの・・としての芸術への疑いがあった。いうまでもなく、フレイヴィンの作品は、ほぼ同時期に現われ、たちまち消えてゆく類の、クリッサだとかビリィ・アップルたちの少しばかり手のこんだテクノロジィと楽天に結びつくライト・アートとは大いにへだたっている。フレイヴィンのある作品──彼は作品を開かれた表現という意味からか「提案」と呼ぶようになる──には、明るい展示空間のなかにディライト用の蛍光灯をむきだしにして規則に配置したものがある。それは昼行灯のごとき様相を呈しているが、この空間からかすかに醸しだされる光によるイリュージョニズムに彼の真骨頂があった。換言すれば、われわれ見る者はゆるやかに知覚してゆく光の経験によってあの表現内容を受けとめ、かつ生みだすのである。それがまた、ライト・アートともつながるもっぱら錯視をもてあそプオップ・アートをはじめとする造形的、装飾的な表現でないことも言をまたない。

 

1960年代の後半より、フレイヴィンは光をより積極に用いるようになった。それは壁(その隅を含めて)、天井、展示場の中心などに黄、緑、ピンク、クール・ホワイトなどの色彩による蛍光灯を暗闇のなかに設置するものである。現実、物理な場所はいっそう破壊されて、光の場が構築されるのである。この点、攻撃的ではあるが──だがわが国で誤解されがちな心地よい環境インテリアの設計などとはまったく異質である──、しかしその表現は水っぽさがなく、透徹なものとして現われている。

Top » Dan Flavini