I 写真
私がはじめてベルント(ベルンハルト)/ヒラ・ベッヒャーの作品をじつさいに見たのは、1977年のカッセルの「ドクメンタ6」でだつたとおもふ。図版でなら、もちろんその前から知つてゐたが、図版ではよく判らなかつた。写真による作品だから複製図版の写真で事足りるかといふと、けつしてそんなことはない。むしろ、写真こそ、同じネガでもプリントの一枚一枚がすべて違ふから、実物を見る必要がある。その意味では、「写真集」といふのは、一枚一枚のプリントとはまつたく別種のものである。
写真による作品については、アイディアとかコンセプトは複製でも判るとおもつたら、それは間違ひだらう。ベルント/ヒラ・ベッヒャーにしても、アイディアやコンセプトだけで制作してゐるわけではない。彼らの作品は、あくまでも、具体的な一枚一枚のプリントである。
私が最初に彼らの作品をじつさいに見たときも、それまで複製で見てゐたものとはまるで違つてゐることに驚いた。複製は、ベルント/ヒラ・ベッヒャーの作品のいはば見出しのやうなものにすぎず、そして、見出しといふ、分類はえてして作品の実質をおほひかくしてしまふ。だが、じつさいの作品は見出しではない。
II 出発
シーゲンに生れたベルンハルト・ベッヒャーは、シュトウットガルトで学んでゐた1953年から工業関係の建造物を絵とリトグラフで表現しはじめた。そのうちに、絵で表現するよりは、それら建造物そのものの方が面白くなつた。そこで、それらを写した写真を集めはじめたが、やがて、写真を集めるかはりに、自分で写真を撮りはじめるのである。かうして、いまベルント/ヒラ・ベッヒャーの名を高からしめてゐる作品がはじまる。1957年のことである。シュトゥットガルトからデュッセルドルフに移つてゐたベルンハルトは、ちやうどこの頃にヒラ・ヴォーベサーと出会ふ。ヒラは、ベルンハルトの作品に強く惹かれて彼を助け、二人は共同で仕事をしてゆくことになつた。
以来、ベルント/ヒラ・ベッヒャーの作品は一貫して変らない。それともうひとつ、かういふ作品を1957年から始めてゐる点にも注意する必要がある。我々の常識的な理解では、コンセプチュアル・アートは1960年代の動向、それも半ば以降のものである。いま我々は、ベルント/ヒラ・ベッヒャーをコンセプチュアル・アートに分類してゐるが、二人は、そんな分類におかまひなく、はじめから自分たちの仕事をやつてゐたにすぎない。
III 細部
ベルント/ヒラ・ベッヒャーのじつさいの作品は、力チッと撮られた鮮明な写真である。被写対象は、給水塔・冷却機・ガスタンク・ベルトコンベア塔・高圧電線塔などで、ヨーロッパやアメリカ各地の、各種の鉱山・精練所で撮影されてゐる。
これらの写真を展示するときには、組にして並べるのだが、組をつくる基準は、二人の作品をいちはやく評価したカール・アンドレにならへば(『アートフォーラム』誌、1972年12月号)、(1)同一機能(たとへば給水塔だけでまとめる)、(2)同一機能/異質形状(たとヘば円形のものだけでまとめる)、(3)同一機能・形状/異質材料(たとへば鋼鉄でできてゐるものだけでまとめる)、(4)同一機能・形状・材料、といつた具合に分類できる。
したがつて、一例として、円柱の上に平べつたい円筒形が載つた給水塔の一連の写真を並べたものを見ると、ほぼ同じものなのに、同じ類型のなかで形がみな違つてゐることが、否応なく見えてくる。細部が、あざやかに見えてくるのである。
IV 風景
それとともに、それぞれ、どこの街の給水塔なのか、おのづと知りたくなつてくる。つまり、給水塔の背後の風景が、浮びあがつてくるのだ。ちなみに、二人は、写真とともに、作品の一部として、撮影の期日、被写対象たる建造物の大きさおよび構造の細部の説明をも、記載してゐる。
二人にとつても、我々観客にとつても、給水塔の形をまづ第一に面白くおもつてゐる。それに違ひはないだらう。だが、それは、形一般として面白いといふよりは、いまあげた例でいしふと、フランスのウーシャン、ヴィル=ガニョン、ランス(Lens)、ダンケルク、ナン・ル・プティ、ベルギーのシャルルロワ、ドイツのケルン、アルスドルフ、エッセンなど、特定の場所の給水塔の形がそれぞれ面白いのである。
V 比較
かうやつて、細部をともなつた特定の風景のなかの給水塔を見てゐる我々は、フランスのウーシャンからドイツのエッセンまで、9つの土地の地勢の比較のなかで給水塔を見てゐる。ウーシャンの給水塔だけでなく、9つを比較して見ることを求められてゐる。二人は自分の作品を、「工業建造物の類型学」といふやうに、ティポロギー(タイポロジー=類型学)と呼んでゐるが、このティポロギーはトポロギー(トポロジー=地誌学、地勢学)にも通ずるだらう。我々は、たんに給水塔の形体のいろいろな類型を見てゐるだけではない。写真に写つてゐる現実の細部と風景以外に、類型のちがひを生む背景もまた、見てしまふからである。
VI 1枚と9枚
それでも、給水塔の形がベルント/ヒラ・ベッヒャーの関心の中心にあることは、やはり変らない。給水塔が画面中央の大部分を占めてゐて、圧倒的な迫力なのだ。しかし、それは、1枚だけを切離して見たときの話である。
ベルント/ヒラ・ベッヒャーの作品は、たとへば9枚を一組として成り立つてゐるものである以上、我々観客は、9枚を同時に見ることを求められてゐると云ふべきだらう。9枚を同時に見るといふ作品体験を求められてゐる。
もちろん、現実には、9枚並べて展示されてゐるものでも、1枚ずつ別個に見てゆき、相互の比較もしてみて、それから全体を把握する―――といふ作品体験の仕方をするかもしれない。個別に9枚見たものを総合する、といふわけである。
だがわたしは、ベルント/ヒラ・ベッヒャーの作品のばあひには、それでは不十分だとおもふ。わたしは何度もくりかへして見てみたのだが、1枚ずつ9枚見て、全体の印象をまとめる、といつたやりかたでは、どこか違ふのだ。いまひとつ得心できない。
VII 眺めること
そこで、9枚全部を同時に見てみようとした。さうすると、むろん全部を同時に見ることは物理的に不可能なのだが、それでも、ベルント/ヒラ・ベッヒャーの作品の姿をたしかにとらへたといふ気がした。
つまリ、1枚ずつ個別に見ることも必要だが、それは云はなくてもやるからいいとして、9枚全部をいちどきに視野に収めて見ることが重要なのだといふことである。見るといふときには、どれか1枚を見ることになるはずだから、9枚をいちどきに見ようとすると、見るといふよりは、眺めるやうにして全体を視野に収める以外にはないだろう。そして、全体を眺めてゐるときには、我々の眼の焦点はどの1枚にも合はずにさまよつてゐるが、さまよひながらじつは9枚に通底する核をちやんとつかみとつてゐる。
そのあとまた、我々の眼の焦点は、なかの1枚に合ひ、給水塔を見、細部に向ふ、。したがつて、1枚と9枚とのあひだの往還が、ベルント/ヒラ・ベッヒャーの作品体験といふことの実質をなしてゐるのである。
VIII 往還
ところで、これと同様の往還の構造が、じつは、1枚の写真のなかにもみとめられる。給水塔とそれ以外の風景とのあひだに、だ。給水塔を見るとき、風景は背景に退いて眺められる状態になるし、風景に眼を移すと、給水塔が眺められる状態になるからである。
その点で、空を、ほとんど際立たないやうに撮影してゐる(処理してゐる)のは、当然である。すべてが戸外の垂直な建造物であるため、背景の多くを空が占めることになる。二人は、出来るだけ、空が一様に曇つた状態の時に撮影して、ニュートラルな背景にしようとするのである。かうして得られたニュートラルな空は、1枚の写真においては、給水塔の形を際立たせるとともに、給水塔と風景との往還の構造をいはば支へる役目も果してゐる。それと同時に、9枚を同時に眺めるときにも、じつはこのニュートラルな空が、出来るかぎりめだたない「地」であることによって、往還の構造を支へてゐるのである。
IX ln Between
この作品は美術なのか、それとも写真なのか―――そんなたぐひの疑間を、誰しも抱くかもしれない。それにたいして、一応の回答を与へることは、そんなに困難ではないだらう。視党にかかはるものであり、かつ給水塔の形の類型化の試みのゆゑに、これは美術である。あるいは、類型化にみられる概念性と地勢学的要素の導入ゆゑに、または、眺めるといふ状態が、単純な視覚作用ではなく、概念作用ないし想像作用の加味された、独特な意識の措定のありかたを生むゆゑに、これは概念芸術といふ美術である―――そんな回答にならう。まだ別様にも云へるだらうし、みな、それなりに当つてゐなくはない。
だが私には、重要なのは、まづ、視が往還の構造のなかに置かれる体験:をそれじたいとして生きることだと、おもはれる。美術かどうかを考へるのは、そのあとでよい。その体験が、美術の視の体験とどのように切り結んでくるかを、その次に考へることである。かつてヒラ・ベッヒャーは、「私達にとつては、これが美術かどうかといふ疑間はそんなに面白いものとは思へない。おそらくは既成のカテゴリーの中間に位置してゐるのだ。とにかく、美術に関心ある観客はいちばん心の開かれた人々だらうから、この作品について進んで考へてくれるだらう」と書いたが、「中間に」(ln between)といふのは、ベルント/ヒラ・ベッヒャーの作品の往還の構造に由来してゐる。