吉川民仁「対話」2010 油彩 、キャンバス 227.4x162.0cm

吉川民仁は武蔵野美術大学在学中、具象絵画中心的な当時の学内の風潮に反発を感じつつ自己の表現方法を模索する中で、やがて抽象絵画へと向かっていった。そこでは吉川は、その起源にまで遡って抽象とは何かということを自分なりに考えつつ、一方でディーベンコーンの画面構築、トゥウォンブリーの線描、タピエスの物質性、アルトゥングの形象と空間性などをさまざまに吸収して、自己の抽象絵画を発展させていった。

吉川の抽象絵画は、そのように特に何か一つの動向に深く関連づけることが容易ではないところに特徴があると言えるが、そのことと多分に関係して、彼の仕事は受け手による年代順の様式的な分類を拒むかのように多様な展開を見せてきている。そこでは、同一年の仕事においてさえ、過去のいくつかのスタイルと新しいいくつかのスタイルが混在しているということもしばしばである。そこに何か一貫するものがあるとすれば、それは抽象絵画とは何か、もっと言えば、抽象/具象の区別にこだわらず「絵画」とは何かという彼の根源的な問いであり、それこそが吉川の仕事を基底部で強く支えてきている。

私が初めて吉川の作品を見たのはおそらく1996年のVOCA展の時だったが、実のところ彼の仕事に本格的な関心を持つようになったのは、つい数年前、2010年に彼が東京日本橋高島屋美術画廊Xで行った個展の時である。そこに出品されていた《対話》(2010年)や《列》(2010年)などの新作の白の油彩画は、それまでにない鮮烈な印象を私に与えた。そして、2012年にDIC川村記念美術館で開催された「抽象と形態:何処までも顕れないもの」展(鈴木尊志企画)で吉川の《対話》(当時、作家蔵)を再び目にし、彼の画家としての才能に対する私の考えは確たるものとなった。

吉川の白の絵画の典型例として、《対話》について見てみよう。この作品では、キャンバス一面にグレー系の暗色が施されたあと、白で全面を覆って背景が作られている。下層の暗色が透けて見える抑揚のあるその白い地の上にさまざまな鮮やかな色彩が置かれ、浮遊感に満ちたリリカルな世界が生み出されている。

画面の所どころに見られるさまざまな色斑は、少量の絵具をペインティングナイフの先に取って、画面に向かって投げ付けたものである。このような手法をすでに繰り返し試みてきた吉川は、その結果はある程度予測できると言い、そのような偶然と必然の狭間で生み出されるそれらの色斑は、奔放さと緊張感の両方を画面にもたらしている。また、それらの色斑の盛り上がりは、一つひとつは控え目でありつつも、あちこちで絵具の物質性を主張しており、平らな画面の上で構造上の効果的なアクセントとなっている。

投げ付けられた絵具のいくつかは、その後ペインティングナイフや左官ゴテで、垂直方向か水平方向のどちらかに一気に平たく引きずられている。これによって、茫漠とした白色の広がりの中で画面の平面性が改めて喚起されるとともに、デ・クーニングあるいはリヒターを思わせるような強いペインタリーな効果が生み出されている。

画面左上にはネット上の形状が見られるが、それは絵筆ではなく木香薔薇の枝の先に絵具を付けて描かれたものである。また、画面中央には筆記体のvに似た形状が、そして画面下端部にはわずかに波打った水平方向の線が、ともにペインティングナイフの先端で引っ掻かれて描かれている。トゥウォンブリーに通じるようなそれらの線描の繊細さやさり気なさは、ペインティングナイフ等で引きずり伸ばされた絵具の力強いペインタリーネスと優れたコントラストをなしている。画面左上のネットと下端部の水平線はまた、ともすると流動的になり過ぎてしまいそうな画面をほどよく掴み捉えており、この絵に一枚の絵画作品としてのまとまりをもたらしている。

そうして《対話》をはじめとする吉川の白の絵画では、明るくも深みのある白い背景が上記のようなさまざまな要素を受け止め、包み込んで、いくぶんの憂いと陽気さの両方を含んだ詩情あふれる独創的な空間が生み出されている。

吉川の仕事をよく知る批評家や学芸員や作家たちと、吉川について会話する中で私がしばしば耳にしてきたコメントは、「吉川は器用な画家である」というものである。吉川が一つのスタイルに固執することなく、同時進行でさまざまなスタイルの作品を一定以上の質をもって生み出してきた様を肯定的に捉えての評であろう。しかしながら、私は吉川のその「器用さ」を評価することには抵抗を感じてきた。むしろ、吉川のその「器用さ」は、画家として自らが進もうとする方向に対する彼の決意がいまだ一つの通過すべき点を越えていないことの表れのように感じられてきたのである。

吉川が今後どのような方向に進もうと、それはまったく彼の自由であるが、今回の個展に出品された新作を見渡すと、《空模様》、《風の国》、《飛び立つ》など、これまでになく白の絵画の割合が大きいことに気づく。この傾向を私はとても歓迎している。吉川は現在49歳であるが、私の感じるところ、彼は画家としてのポテンシャルをまだまだ大いに秘めている。それがより良く発揮されるためには、まずは彼のさまざまな種類の仕事の中でも彼の個性が最も良く現れ出ていると思われる白の仕事の可能性を今後さらに集中的に追究し、その成果によって自らの画家としての一つの高みをはっきりと示すことが重要ではないだろうか。その先に、吉川民仁の芸術の真に豊かな世界が開けてくるように思われる。

(おおしま てつや/愛知県美術館 主任学芸員)

Top » 吉川民仁展 "rain or shine"