January 9 – 21, 1984

 

  • Hongo Shigehiko
Hongo Shigehiko
本郷重彦 PONKO 44 Iron

 

FOCUS ’84

企画 中原佑介

1984年1月9日–21日

 

  • 本郷重彦

FOCUS ’84 カタログ (PDF 9.9 MB)

 

ポンコという珍機械

中原佑介

われわれのあらゆる行為、あらゆる技術は芸術の行為、芸術の技術とすることができる──こういう認識がいよいよ強くなってきているように思われる。別のいい方をするなら、芸術に固有である行為、芸術に専有される技術はもはやないといっても過言ではなくなった。このことは、単に現代美術の形式や素材の多様化としてのみあらわれるのではない。

確かにわれわれの眼に映るのは、作品の示す形式──かたちであり、それを形成している素材ではあるけれども、それと同時に行為か技術もまた強く眼に映るようになってきたのである。伝統的に、われわれは作品の形式と内容を語るのを常としてきたが、それと同じ比重をもって行為や技術をも語る必要があるのではあるまいか。

 

本郷重彦の作品を見るとき、なによりもまず感じられるのは、鉄材を加工し、組合せ、溶接するという技術である。鉄という素材によってつくりだされているかたち、あるいは「鉄の材質感は当然のこととして伝わる。しかし、それと同じ、もしくはそれ以上に鉄材の処理加工技術ということを伝えるように思う。むしろ、それがこれらの作品をうみださせたモチーフといってもいい程である。技術は隠れているのでなく、表へでているのである。

本郷の鉄を用いた作品は1974年の水のしみあげポンプを模した「ポンコ1」に始まっている(ポンコという名称はポンプに由来している)。それ以来、シリンダーのある簡単な形態の工作機械のような作品、初期の自動車を思わせるような作品などを経て、蒸気機関車にヒントを得た一連の作品、近作の鉄の円筒を並べて、それを叩いて音を出す作品へというように変遷してきた。どの作品も、たとえば科学技術館に過去の機械や乗物として並べると、こういうものがあったかもしれないと思わせるようなところがある。

本郷によれば、ポンプに関心を寄せた動機のひとつは、それを人間が押したり引上げたりして動かすということにあったというが、この手で触れるというのは彼の作品に一貫している特徴である。つまりどの作品も可動である。敢えて、ここでも技術ということばを用いるなら、これは観客にもそれに触れて動かすという技術を発揮することを望み、そういう技術を前提として作品をつくっているということにならう。むろん、それらの技術は単純なものではあるが、しかし、一種の機械の運転技術にはちがいないのである。

実際には、それが機械でもなんでもないところから、観客の技術の発揮は遊びになり、作品はユーモラスな一個の物体となる。(本郷の作品のもっとも熱心な観客が子供たちであるのは偶然ではあるまい)あるいはユーモラスが一個の芸術的発明物といってもよい。

 

本郷の作品でもうひとつ指摘しておきたいのは、先程の科学博物館の例にも関連することだが、それがなにか過去にうみだされた形態を想起させるということである。それはしかし過去の美術作品ではない。この過去の形態の想起ということは、技術の芸術化ということと結びついていると思う。鉄材の処理加工技術による古き鉄製品の換起──われわれがそれを美術の文脈で見るひとつの根拠ではないかと思う。

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