吉田克朗展 Rediscovered "Cut-off 18" 1970 + Photos
Rediscovered "Cut-off 18" 1970 + Photos

「もの派」とは1968年から1970年ごろにかけて、石や木、紙や綿、鉄板やパラフィンといった「もの」を素材のままに、単体であるいは組み合わせることによって作品としていた一群の作家たちを呼ぶものである。吉田克朗(1943年–1999年)は現在「もの派」と呼ばれる作家群のひとりであるが、彼の活動時期のなかで「もの派」と呼ばれるような立体作品を制作した時期はきわめて限定されており、1968年–1972年の4年間に集中している。これらの作品を吉田は「立体造形(オブジェ)」と呼んでいる。

立体造形(オブジェ)の作品は、たとえば角材の上に異なる厚さの鉄板を置いて自然にたわむ姿を見せた作品<<Cut-off No.2>>(1969年)や木に電気コードを巻いてその先に電球をつけた作品<<Cut-off 8>>(1969年)など、2つのもしくは複数の素材の組み合わせによって表現されている。その多くに<<Cut-off>>という作品タイトルが付けられている。作品の性質上、展覧会の現場で制作され、展覧会終了後には撤去されたため、現在オリジナルの作品を見ることは難しい。

このたび<<Cut-off 18>>(1970年)が発見されたという(但しボルトを除く)。<<Cut-off 18>>という作品は磨かれた光沢のある鉄板にさびたボルトが4本つけられたもので、吉田自身の制作メモによると、「まさに作りながら、それから作品とならず、そして、それが、非意味性のものであり、それが物でありうる様なもの」(1970年6月8日)とあるように、「もの」を素材のままに提示することを目指した作品である。1970年の第5回ジャパン・アート・フェスティバルにこの作品を応募したが、落選し、実際に展示されることはなかったと思われる。その意味でも写真ではなく作品が実見できるこの機会はとても貴重なものであるといえよう。

吉田の立体造形(オブジェ)の作品の多くは写真によって知ることができる。吉田は後年、自身のメモに「よく考えると物体をしようして作品を作っていたときにも、僕の作品は(自分自身に於いて)ある一点を見る地点と考えていたフシがないでもない。それらの作品を写真にとってあるが、それらの写真はある一点にカメラを置いてとったものが一番うまくいっていると考えられる(中略)」(1976年5月)と記しているように、立体造形(オブジェ)においてその写真の重要性を伝えている。

いっぱう吉田は1969年からシルクスクリーンの制作をはじめている。最初のきっかけは立体造形(オブジェ)の制作のためのプランを展覧会に出品するために紙の作品の制作を依頼されたことからだった。これは1969年にウォーカー画廊で行われた「プラン・テクノロジー・イリュージョン」展であるが、そのとき<<Cut-off Plan(The Tree)>>(1969年)と<<Cut-off Plan(The stone)>>(1969年)の2点を制作している。タイトルが示すように立体造形(オブジェ)の作品<<Cut-off>>シリーズのためのプランである。

2点の<<Cut-off Plan>>ののち、シルクスクリーンの作品は<<Work>>と名付けられ、制作順に番号がつけられるようになる。このことはシルクスクリーンを単なるプランのための作品というより、それそのもので成立するひとつの表現として吉田がとらえていると見ることができる。吉田は1969年–1998年までシルクスクリーンやフォトエッチングなどの技法で版画制作を続けている。とくに立体造形(オブジェ)を制作していた1969年–1972年にかけてシルクスクリーンを継続的に制作していることには注目してよいだろう。

鎌倉画廊での展覧会では<<Cu-off 18>>、立体造形(オブジェ)の作品写真、1969年–1971年にかけて制作されたシルクスクリーンが展示される。吉田の立体造形(オブジェ)をただ「もの派」の作品とするのではなく、写真やシルクスクリーンにあらわれた彼の視点や思考とあわせて考えることで、彼のこの時代の作品の理解を深めることができるだろう。

(やまもとまさみ/東京都現代美術館学芸員)

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