Empreintes de pinceau nº50 répétée à intervalles réguliers (30cm)

Solo Exhibition
April 20 – May 16, 1992

Peace 2012

ニエーレ・トローニ

30cmの等間隔で繰り返される50番の絵筆の跡

1992年4月20日–5月16日

インタヴュー(抜粋)

“30cmの等間隔で繰り返される50番の絵筆の跡”これがぼくのすべての仕事、作品のタイトルだ。前にも書いているが、字義通りの意味で、こういう言い方は、ほくのすべての作品/絵画の共通分母で、全てを言うと同時に伺も言わない、実際に作品を見ない限りはね。

ぽくに興昧があるのは、跡のコンセプトでもないし、何かの跡でもない。これについては、イヴ・クラインが素睛らしい女性達を使って、素睛らしい跡を創造している。ちいさい頃、学校で、ジャガ芋を半分に切って、ジャガ芋の判を作り、それできれいなものを作った。雪の中に一歩。ロビンソンは、島の生活で、足跡をたどってヴァンドルディ(金躍日)を見つけている。こういうたぐいの研究は、全くのところぼくには関係がない。ほくの仕事は、美しい跡をつけてくれる形を探すことにはない。そんなことを言えば、ぼくの歯医者だってとてもきれいな歯の跡をとっているし。

展覧会のとき、ぼくは現場で直接、壁に描くことが多い。壁の高さとか、建築のタイプとか、その場に応じたやり方で。だから、キャンヴァスを抱えて移動するということはめったにない。ニースのヴィラアルソンやグルノープルの美術館でやった「20年の跡」という展覧会の時だって、苜のタブローを見せたけれど、今の空間処置の仕事の中に入れて見せた。それは、回顧展という考えを取り除くためでもあるし、ほくの場合は、回顧展というものの限界を示すためでもあった。

ぼくがいつも同じことをしていると言う人がいるけれど、それは間違いだしお笑い草だ。ぽく自身でさえ、描いたものがどういうものになるかは、前もっては絶対に分かっていないのだから。ぼくの作品/総画か面白くないと言うのはいいけれど、いつも同じだと言うことはできない。それぞれの作品はそれぞれ違っている。たとえば、50番の筆の跡というのか、一つ一つ違っているようにね。だからこそ、機械的に再生産するなんて出来っこない。実際にやってみる以外にない、本番で。たとえば、明日でも、三日後でも、十年後でも止めてしまうこともありうる、ぼくには分からない。ぽくに分かっているのは、自分で絵筆を持てなくなった時には止めなければいけないという事だけだ。

ぼくにとっては、形とか素材とかすでに在るものを使って、それを転移させたり異和をおこしたりということは全く有り得ない。50番の絵筆の跡というのは前もっては存在していない。絵具がたっぷりついて、跡を残すように表面に押し付けられない限り、視覚化してこないものなのだ。
50番の絵筆の跡というのは、絵を描こうという行為の結果であり、その証左であって、その行為の以前にはない。
転移するのではなくて、絵を描くということ、その試みなのだ。
感情はこめずに・・・そして、流行なんてものはどうでもいい。

訳:べルク哲子

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