今年、生誕百年を迎えたヘルベルト・バイヤー(1985年に没す)は、20世紀を代表するモダン・デザインの巨匠のひとりとしてその名を深く刻んでいる。その活動領域は極めて多彩であった。生地オーストリアからドイツに渡り、若くして、タイポグラフィー、ポスター、広告、装丁、雑誌などのグラフィック・デザイン、展示デザイン、壁画、写真などの領域で傑出した仕事を行うとともに、並行して画家としても活動。1938年、アメリカに亡命してからもこれらの仕事をさらに展開させるとともに、第二次大戦後には、建築や環境デザインの領域でも活躍した。領域横断的な創造の多様性とそれらを総合するビジョンこそが、芸術家としてのバイヤーの存在全体を特徴づけている。

(中略)

バイヤーの中で、絵画や写真などの創作活動とデザインの実践的活動の統一を支えていていたものはなんだっただろうか。絵画表現について述べた次の言葉は示唆的である。

「精神の憧憬は、現実の現象を越えて事物とその諸関係の超・現実性へと向かう。…諸々の概念と物質的な対象が、抽象的な、境界のない空間に置かれる。あるいは逆に、抽象的な構図が、ある現実的な表面を獲得するのだ。…本質は、事物の現象の背景に探さなければならない…。」
(バイヤーの言葉の引用 『クンストブラット誌』1929年 より)

表現において決定的なものは、現実を越えた抽象的なものにある。この認識は、モダン・デザイナーの表現原理と深層において共鳴していた。「デザイナー」という言葉は、ドイツ語では「エントヴェルファー」(投企するひと)という。ある抽象的な概念や案を先行的に投げかける(「プロ・ジェクト」する)ひとの意であり、彼は、自らの表現の出発点を現実を超えたところに置くからである。ところで、この認識は、グロピウスがバウハウスにおいて、来るべき芸術家に求めた基本的な態度でもあった。というのは、グロピウスにとって、バウハウスとは、主体(ルビ:サブジェクト)と客体が二元的に対立する西欧近代世界の枠組みそのものを造形活動を通して超克することを目的とした壮大なプロジェクトであり、そのためには、芸術家には、その意識において物質的な制約(客体)から解放されることが求められたからである。バイヤーが、伝統的な意味での「芸術家」の概念から逸脱しているように見えるのは、まさに彼自身が芸術家の新たな存在の次元を指し示しているからに他ならないのである。

ふかがわ まさふみ 川崎市市民ミュージアム・学芸員

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