グループ「幻触」は現時点で、戦後日本の前衛美術のうち、「もの派」の登場を準備した准歴史的段階として位置付けられている。これは、2005年に国立国際美術館で開かれた展覧会「もの派-再考」での会場構成によるところが大きい。同展は、埋もれていた「幻触」の存在を広く知らしめるきっかけとなった一方で、「もの派」によって乗り越えられざるをえなかった不十分な運動であったと片付けられる傾向を生みもした。だが、<幻触>は実に多様な側面を持つ運動体なのであって、そのような図式の中でかんたんに解決できてしまうものではありえない。実際、「幻触」のメンバーが大きな存在感を示した二つの展覧会、「トリックス・アンド・ヴィジョン 盗まれた眼」(村松画廊、東京画廊、1968年)から、第10回日本国際美術展「東京ビエンナーレ 人間と物質」(東京都美術館、1970年)にまで至る諸作には、ひとつの動きとして括りようがないほどの極端な対照性があり、とりわけ後者での小池一誠の自然石を大量に積んでみせた展示は、事実上「もの派」と呼んで差し支えないものになっている。

このように、「幻触」の活動が「プレもの派」にとどまらず、ある時点から、すでに「もの派」と同等の認識に達していた点への再評価は、むろんなされてよい。けれども、それはそれで「幻触」の独自性を、かえって「もの派」の範疇へと溶かし込んでしまう危険を孕むことにもなる。いっそのこと私がここで考えたいのは、「幻触」の活動を、すでに確立されたこうした歴史的な前後関係から評価したり、批判したりする呪縛--それこそが「幻触」を率いた美術批評家、石子順造がもっとも嫌った近代的な制度性そのものだろう--そのものから解き放つことである。

今年の夏、「釜山ビエンナーレ2016」から日本、韓国、中国の前衛美術を一堂に会して展示するためのゲスト・キュレーターに招かれた。全体の背景についてはいま触れる余裕はないが、その中で私は「幻触」から鈴木慶則の作品を取り上げた。実は、これらの作品は今回の鎌倉画廊での「re-『幻触』」展に出されることが決まっていたものを、特別にお願いして釜山で展示させてもらったものである。では、なぜ鈴木だったのか。

鈴木は、「幻触」を先の「トリックス・アンド・ヴィジョン」から「東京ビエンナーレ」に至る振り幅で捉えた時、限りなく前者を代表する作家であった。すると、「幻触」の限界とされる「プレ・もの派」としての性質を、もっとも色濃く備えているということにもなる。しかも、「トリック」と「ヴィジョン」という、いずれも実体のない知覚の現象を「トリック」に寄せて取るか、「ヴィジョン」に引きつけて受け取るかによっても、運動体としての性質はまったく違ってくる。前者ならば意図的な人為性が高くなり、後者なら主体による制御不可能性が高まる。この点でいうなら、西洋美術史をめぐる既存のイメージや制度性をめぐる翻案や逆転を方法の核に据えた鈴木は「トリック」の代表格となり、したがって<作らない>「もの派」と「幻触」との距離は、鈴木において最大となる。つまり、鈴木は「幻触」においてもっとも初発的な作家であるという位置付けは免れない。

だが、言うまでもないことだが、鈴木は単に西洋美術の名画や制度を援用して、おもしろおかしく「だまし絵」を作ったわけではない。それどころか、既存の美術史を一種のデータベースとして扱い、いったん制作という主体的な行為から切り離し、近接や拡大、反転や対称化と言った機械的操作の中で(創作するのではなく)増産して見せた点では、のちのコンピュータ・テクノロジーによる絵画のメディア化(=媒介化)を先取りしているようにも受け取れる。これは、データベースを扱う点で、当時さかんに言われた位相幾何学による空間や知覚をめぐる操作とも違っている。

既存の理解からのこうした偏差は、トリックからもっとも遠いように考えられる小池一誠にも近い部分がある。それを強く感じたのは、小池の死後、とある展覧会(*)の準備のため、自宅の庭を調査させてもらったときのことである。庭という生態系=システムの中で、小池の石は、かつて作品だったものと、拾われてきて置かれただけの石との境目がほとんどなく、また実際その中間領域に属すると思われるものが大半であった。それを見て私が思い出したのは、小池が他界する前年の2007年、小池自身に案内されて甲州を訪ね、かつて石子が民俗学者の中沢厚とともに巡った丸石神の跡を追って歩いたとき、過去と同じ場所にそのまま残されていたり、跡形もなく消え失せていたり、あるいは別の場所に移されていた丸石の軌跡を辿りながら、小池が盛んに「生態」や「システム」について語っていたことだ。

おそらく小池は、60年代末、知覚の遊戯性を乗り越え、新しく台頭する非表象的な美術の動向に大きく刺激を受けながらも、その可能性を「もの」との「出会い」といった一回性の非再現性からではなく、繰り返されることで増殖したり接続されたりすることで、生命のように連続するシステムの中で見ようとしていた。これは非生産性や静的均衡に支えられた「もの派」とはまったく異なる着想であって、むしろ多産的であり、長期的には力動的でさえある。実際、小池は最晩年、箱庭を思わせるバイオ・システムを作っていたし、それは鈴木が西洋美術史を、完結した歴史ではなく、可動的なシステムの総体からの暫時的な「切り出し」として捉えていた姿勢にも通じる。

無機物をめぐるこうしたバイオモルフィックとさえ呼びたくなる能産性は、ほかの「幻触」の作家たちの場合にも、それぞれの動機に応じて個別に見ていく必要があるだろう。幻という、見えているだけのものに進んで触れようとする姿勢は、ものを通じて、見ることの近代的な制度を根源から問うことには直結していない。畢竟するに「幻」は決して「もの」ではないのだから。

(さわらぎ のい・美術評論家)

*「石子順造と丸石神」展、CCCAアートプラザ、東京・四谷、2010年

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